きっかけは偶然の出来事だった。
私ははるかやせつなが留守の間、何度も何度も、ミラーの中の自分の行動を操作して未来を変えようとし続けた。おそらく体力の限界に近いくらいにパワーを使っていたと思う。けれど、時間がなかった。例え私が力尽きても、どうにかしてこの未来を変えなければ……その一心だった。
そういったことを数日繰り返して迎えた、ある夜中のことだった。
私がミラーの中の自分に注目していたら、急にミラーが暴走してしまった。そして私はミラーから溢れ出た強大なパワーを浴びてしまった。
直後、一瞬ではあったが私は意識を失った。……というよりは、意識が身体から抜けた、という感覚だ。確実に自分の意識がそこに存在しているのに、なぜか実体を失ったような……そんな感覚だった。
しかしその状態はすぐに終わり、気づいたら私は元通り椅子に座っていた。
その瞬間は何が起きたのかわからなかったが、その後も繰り返しミラーを扱い続けるうちに、次第にわかってきた。
私がミラーを暴走させてしまった時、私はミラーの中に映る自分に、サブマリン・リフレクションを使わせようとしていた。どうやらミラーの中の自分に行わせるはずだったその技を、ミラーの外にいた現実が私が誤って発動させてしまったらしい。その時すでにかなりパワーを使っていたから、疲れもあって自分の力を上手くコントロールできていなかったのかもしれない。
ミラーの鏡面を自分に向けていた私は、自分自身が発した技をダイレクトに浴びてしまった。
しかし、自分が放ったサブマリン・リフレクションは、私にダメージを与えることはなかった。
どうやら、ミラーの「映し出す力」により映された自分自身の意識が、「弾き返す力」により自分自身に跳ね返ってきた……ということだったらしいのだ。
その時初めて私は、ミラーが「映し出す力」と「弾き返す力」の二つを兼ね備えていて、その力を合わせて使うこともできると知った。
「つまり」
私はひび割れた鏡面をはるかに向けて、言った。
「ミラーに映されたはるかの意識を私に、私の意識をはるかに反射させたの」
私が言うと、はるかとせつなが驚いたような表情で顔を見合わせた。
「そんなことを……」
「偶然ではありますが、私が人に対して時間操作の力を使えることに気づいたように、みちるも自分の力を攻撃以外にも使えることに気づいた、ということですね」
せつなが口元に手を当て、感心と驚きを込めたような口調で言った。
私は頷いてから、言った。
「ごめんなさい。こんな賭けみたいなことに、あなたを巻き込んで」
私は俯いた。
成功するかどうかわからない力を使ったこと。私の身体の中ではるかを生かそうとしたこと。はるかを守りたい一心だったとは言え、はるかが望まないであろうということは気づいていた。
それでも、私は天王はるかという人の魂を生かすことを選んだ。後悔はしていなかったけれど、はるかに対して申し訳ないという思いはあった。
頭に柔らかい感触を感じた。はるかの手だ。優しい手つきで髪に触れ、撫でてくれた。
「本当に、みちるは……無理をするから……」
はるかが、言葉を詰まらせながら言った。私は少しだけ目線を上げて、はるかの顔を見る。はるかもやや俯き加減で、顔に前髪がかかって表情ははっきり見えない。
「でも、おかげでまた、この手でみちるに触れられる」
はるかがそう言って少し顔を上げる。
思わず手を伸ばした。はるかが少し屈んでこちらに顔を寄せてくれたので、その頬に自分の手を添えた。
「ええ……。私も、はるかに触れられる」
はるかが、私が頬に添えた手に自分の手を重ねた。近い距離で視線が合う。先ほどから変わらずに切ない表情をして、瞳を潤ませていた。
相変わらず何かを抑えているようなその表情を見て、思わず私は聞いてしまった。
「はるか……。まだ何か、あるのね?」
私の問いに、はるかは表情を変えず、私が頬に添えた手を握っていた。そして、一瞬の間を置いてから、頷いた。視線が迷うように揺れたが、すぐに元に戻り、しっかりと私を見つめる。
「みちる」
はるかは意を決したように私の名を呼んだ。
「君はもう……セーラー戦士としては戦えない」
はるかは震えた声で、絞り出すようにそう言った。
一瞬、何を言い出したのかわからず、私はすぐに返事ができなかった。
「どういう、ことかしら」
私が戸惑いながら問うと、はるかは視線を私が持つミラーに移した。
「君のミラーは壊れ、ロッドも失った。もう変身できないし、力を使うこともできないんだ」
はるかはそう言って、私がはるかの頬に添えた手を握ったまま、ベッドの上に移動させた。そこに、もう片方の手を重ねる。
「嘘……」
呟くように出た言葉に、はるかが目を伏せ、ゆっくりと首を振った。その背後で、せつなが口を開いた。
「みちる。あなたは少し力を使いすぎました」
せつなの言葉に、私ははっとして、薄く口を開いた。何か言葉を探そうと思ったが、出てこない。
はるかに視線を戻すと、はるかはベッドに置かれた私の手を見つめながら、指先で撫でていた。
「はるか、私は……」
口を開いたら、はるかがこちらを見て柔らかく微笑んだ。
――今日のはるかは、ずっとずっと悲しい瞳をしている。
それを見たら、言おうとしていた言葉が喉元ですっと失われてしまった。
「私が……」
失われた言葉の代わりに、私は小さな声で呟いた。はるかが私を撫でる指を、そっと握る。
「私が、戦士じゃなくなっても……一緒にいてくれる?」
はるかは私の言葉に、不意を突かれたような顔をした。しかしすぐに、表情を崩す。
「何言ってるんだよ。みちる」
はるかはまた、私の髪を撫でた。
「当たり前だろ」
はるかの手の中で、私の髪が梳かれるのを感じた。指先で優しく髪束を取り、すーっと撫でるようにはるかの手の上を滑るのを感じる。
まるで、私の中の不安を宥めるように。
「これからは、僕がみちるを守るから」
はるかの言葉に、私はただ頷くしかできなかった。
すぐにでも帰れると言ったけれど、はるかとせつなが心配するので、一晩は病院で過ごすことになった。
「それじゃあ、明日迎えにくるから」
病室から出ていくはるかとせつなを、手を振って見送る。もう一度窓の外に目を向けると、先ほどよりも日が落ちて薄暗くなりかけた景色が見えた。
「……バカね」
夜景というにはまだ少し明るい景色。点々と見える街灯や建物の灯りが、ぼんやりと滲む。その後で、頬に温かいものが流れた。
――二人は、嘘が下手だわ。
「全部、わかっているのに」
私が無茶しすぎたせい。それはわかっている。だけど、今は二人の優しさが苦しくて、痛かった。
「ごめんなさい……」
粉々のミラーを胸に抱いた。今までは、このミラーから感じ取れるものがたくさんあった。敵の気配だけではない。強さ、温かさ、優しさ……。ずっと私と共にいて、感情すら感じる存在だった。
だけど、今はそこから何も感じられない。
私は静かになってしまったミラーを抱きながら、声を押し殺して泣いた。