敵の気配は、東京湾の方面から感じられた。三人が駆けつけると、すでに東京湾に架かる橋の上に、強大なオーラに包まれたドーム状のバリアが貼られていた。
「ここか」
ウラヌスが呟く。着いてすぐに戦闘の構えをとった。
「ディープ・サブマージ!」
掲げた腕に大きな水球ができ、ウラヌスがバリアに向けて放つ。その姿は、ネプチューンが攻撃を行う姿そのものだった。
水球はバリアに当たって、強い水しぶきとしてこちらに跳ね返ってきた。三人にも水が思い切り跳ね返り、思わず腕で顔を覆う。
バリアを壊すことは叶わなかったが、攻撃は問題なく行えたようだ。
ウラヌスは自らの手を眺めて、呟いた。
「行けるな」
ネプチューンがそれを見て、スペース・ソードを取り出した。
「それなら、私が」
ネプチューンはバリアに向かって走って行き、ウラヌスのスペース・ソードで切り込んで行った。剣の切っ先がバリアに差し込まれ、僅かな隙間ができる。
ネプチューンはすかさずそこに向かって数回切りつけた。人が一人くぐり抜けられるくらいの隙間が空く。
「よし」
背後から見ていたウラヌスが拳を握る。ネプチューンは振り向いて二人を招いた。
「行きましょう」
三人が中に入ってみると、中はかなり薄暗かった。外は日差しが出ていたはずだが、バリアによってほぼ遮られているらしい。足元がひんやりとした空気に包まれているのがわかった。
「敵はどこにいるんだ?」
三人が目を凝らして内部を探るが、様子がわからない。その空間がどれくらいの広さになっているのかもわからず、三人は周囲を警戒しながらじりじりと歩みを進めた。入口として空けた穴は、三人が離れるとあっという間に塞がってしまい、すぐに暗闇に消えてしまった。そのため、壁からの距離も測れない。
パシュッ
数メートル進んだかというところで、突如空を切るような軽い音がして、赤い光線が飛んできた。その音を敏感に聞き取ったウラヌスが、二人を庇いながらサッと避ける。
「来たわね」
「みちるの耳は本当にいい耳だな。音がよく聞こえる」
ウラヌスがネプチューンに向けて言った。ネプチューンは微笑む。
「活かせたようで良かったわ」
「二人とも!後ろです!」
ウラヌスとネプチューンが会話する間に、プルートが敵の所在に気づいた。二人はプルートの指し示す方向を確認する。そこには、先程こちらに向かってきた光線と同じ色、真っ赤な一対の目が浮かんでいた。
「あそこね!」
ネプチューンが右腕を掲げ、天界震を放った。地を割るような光球がまっすぐ敵に向かっていく。
光球が敵に当たろうかという瞬間、敵がさっと左に動いた。惜しくも光球は敵を捉えず、バリアの天井と思われる壁に当たり大きな音を立てる。
「惜しかったな」
「ならば、私が」
今度はプルートが一歩前に出た。
「デッド・スクリーム」
プルートの破滅喘鳴が、ガーネット・ロッドから繰り出された。大きな風の渦が生まれ、敵に向かって放たれる。
ギャーッ
鋭い悲鳴のような音が響くと共に、赤い光線が複数飛んできた。三人はそれぞれその光線を避ける。どうやらプルートが放った攻撃が敵の身体の一部に当たったらしい。敵の身体が砕けるのと合わせて、その敵の一部が光線となって飛んできたようだ。
「なるほど、あいつを壊せば壊すほど、あの光が飛んでくるんだな」
ウラヌスはそう呟いてから、プルートとネプチューンの元に駆け寄り、耳元で何か囁いた。二人はウラヌスに囁かれた提案に頷く。
三人は敵に向き直り、ウラヌスとネプチューンは腕を、プルートはガーネット・ロッドを構えた。
「ワールド・シェイキング!」
「ディープ・サブマージ!」
「デッド・スクリーム!」
三人は同時に必殺技を放った。ウラヌスが放った水球は弧を描いて敵の右から、ネプチューンの光球は同じく左から、そしてプルートの風の渦は正面から。息ぴったりの三人の攻撃が、敵を三方向から挟み込むように押し潰した。
ギャァァァァァァァーッ
先程よりも強い叫び声が上がった。敵は三方向から一気に攻撃を受けたことで、破片を飛び散らせることすらなく粉砕された。
それでも僅かばかりこちらに飛んでくる光線があった。すかさずウラヌスがディープ・アクア・ミラーを取り出す。
「サブマリン・リフレクション!」
いくつかの光線が、ウラヌスにより跳ね返された。
「やったか!」
ウラヌスが跳ね返した光線は、バリアの天井や壁に当たる。それらの跳ね返った光線が四方八方に散った。数は少ないが、いくつかの光線がランダムにこちらに向かってくる。
「くそっ、まだか」
ウラヌスはもう一度ミラーを掲げる。しかし、光線の飛んでくるスピードがあまりに速い。
――間に合わない……!
ウラヌスが自らの危険を感じ、身を伏せようとした瞬間。
突然、肩に強い衝撃を受けた。何が起きたのかわからなかったが、手で押されたような感触がした。そのままウラヌスは押された方向に投げ出される。
――ネプチューンの身体が……。
そう思って身体を傷つけないよう受身を取ろうとしたが、咄嗟の判断も虚しく、ドサリ、と身体が地面に落ちる感覚がした。背中に鈍い痛みが広がる。衝撃でミラーは自分の手から離れ、地面を滑っていった。最後に一拍の間を置いて、目の前で光線が上から下に落ちるのが見えた。
「ああああっ!」
自分の声で叫び声が上がるのを聞いて、ウラヌスははっとして身体を起こそうとした。よく見ると、自分から数メートル離れた場所にはプルートもいて、同様に地面に投げ出されたようだった。
「うっ……」
プルートは投げ出された時に打ったと思われる肩を押さえながら、上半身を起こそうとしている。
二人が様子を見ようと顔を上げると、頭上を覆っていた暗いバリアが、みるみるうちに晴れていった。敵を倒すことに成功したのだろうか。薄暗くて視界が悪かったバリアの内部がはっきりと見え始め、ウラヌスはそこが東京湾に架かる橋の上だったことを思い出した。
「……ネプチューン?!」
明るくなった視界の先に、自分自身の姿のネプチューンが倒れているのを見つけて、ウラヌスは慌てて起き上がった。倒れているネプチューンに駆け寄る。
「ネプチューン!ネプチューン!!」
ネプチューンの名を大声で叫びながら、身体を確認する。ネプチューンは先ほどの光線を背中で受け止めたようで、背中に大きな傷を負い、小さく呻き声を上げていた。
「ネプチューン!」
プルートもすぐさま駆けつける。ウラヌスがうつ伏せになっていたネプチューンを起こし、傷に触れないように抱く。ネプチューンは薄く目を開けた。
「はるか……ごめんなさい。あなたの身体を、守れなくて……」
「そんなこと……」
ウラヌスが、背中を支えていない方の手でネプチューンの手を握った。普段の自分の手よりもやや小さいネプチューンの手で、本来自分のものであったはずの手を握る。
荒い息を吐きながら、ネプチューンが口を開く。
「はるかに……もう一度、触れて……欲しかった……」
ネプチューンが弱々しい声で呟くのを聞いて、ウラヌスがはっとする。
ウラヌスの脳裏に、今朝のみちるとの会話が蘇ってきた。
――私も、もう一度はるかに触れて欲しいわ。
あの時、その会話にどこか違和感を感じていた。明確な違和感ではない。しかし。
――まるで、もう僕が二度とみちるに触れられないかのように感じた―。
「みちる、もしかして、君は……」
ウラヌスが震える声で呟いた。背後を振り返る。先ほど自分が地面に投げ出された時に転がった、ディープ・アクア・ミラーを探した。
ミラーは数メートル離れたところに鏡面を表にした状態で転がっている。
その表面には、一目見てわかるほど無数の亀裂が入っていた。
「見えて、いたのか……?」
ウラヌスは急速に自分の指先が冷えていくのを感じていた。心臓が大きく高鳴り、冷や汗がじわりと流れる。
全身が震え、ふわふわとした感覚だった。自分の身体じゃないみたいだ……と思いかけたところで、そもそも今の身体は自分のものではなく、ネプチューンの身体であることを思い出した。
どうすれば良いかわからなくなって、思わず倒れているネプチューンの手をぎゅっと掴む。しかし握った手は弱々しく、ネプチューンから握り返されることはなかった。
「どういうことです……?」
横たわるネプチューンを挟んで、ウラヌスとは反対側にいたプルートが、ウラヌスとネプチューンの顔を交互に見ながら言った。ウラヌスは、目を見開きネプチューンの手を握ったままだった。
ネプチューンはウラヌスとプルートの問いには答えず、口端を少しだけ動かして微笑んだ。
「みちる……」
今にも消えかけそうな笑みを見て、プルートも思わずその名を呼び、ウラヌスが握っていない方の手を掴む。
「どう、頑張っても……この未来が、避けられなかったの」
掠れるような小さな声で、ネプチューンが呟いた。
「どう頑張っても、ウラヌスの……はるかの身体が、守れない、って……」
「みちる、それはどういう……」
戸惑って聞き返したプルートの言葉に重ねるように、ウラヌスが呟いた。
「こうなることが……見えていたんだな……」
ネプチューンが、わずかに顎を引いた。ウラヌスはそれを肯定と捉える。
「君はこの未来が見えていて……僕とプルートを突き飛ばして……」
ウラヌスは言いかけて、息を呑んだ。
――違う。
「まさか」
心臓がさらにドクンと脈打った。口がカラカラに乾いているのを感じる。
――もっと前だ…。
そんなはずはない、とか、どうやって、という疑問を飛び越えて、ウラヌスはおそるおそる、疑念を口にする。
「見えていたから……君が僕達を、入れ替えたのか……?」
ネプチューンが薄く目を開けたまま、視線をウラヌスに向けた。
「君は……僕を、君の身体の中に“逃した”のか……?」
ネプチューンは握られた手を動かし、ウラヌスの頬に触れようとする。
「ごめんなさい……。本当はこの身体ごと、守りたかった……」
ネプチューンの目の端から、涙が溢れ出てきた。目尻から耳の方へ流れていく。
「そんなこと。どうやって……!」
プルートが首を振り、ネプチューンに縋るように言った。ウラヌスは項垂れたまま、黙ってネプチューンの手を握っていた。
「……ミラー」
ネプチューンに寄せられたプルートの耳元で、ネプチューンが囁くように言った。ウラヌスがそれを聞くや否や、後ろを振り向いて叫ぶ。
「ミラーを!」
プルートが即座に立ち上がり、ウラヌスの背後にあったミラーを取って戻ってくる。そしてウラヌスに手渡した。ウラヌスは、握っていたネプチューンの手をそっと置いて、ミラーを受け取る。
鏡面には蜘蛛の巣を張ったような放射状の亀裂が入っていた。その向こうに映る光景を覗くことは、もうできない。
ウラヌスは片手でミラーを握り、もう片方の手でネプチューンを抱えたまま、叫ぶように問いかけた。
「どうすればいいんだ!どうすれば!みちると僕を元に戻すことができる?」
必死の問いかけに、ネプチューンは目を閉じたまま、また柔らかく口角を上げて微笑んだ。息を吸い込んだ瞬間に、ふるふると身体が震えるのが、ウラヌスの手に伝わってくる。
その動きが、ウラヌスには首を振っているように見えた。
「みちる!」
ウラヌスがもう一度呼びかけると、ネプチューンの口が動く。
――はるか。
声はほとんど聞こえなかった。ただ、わずかに動いた唇と空気の漏れる音で、そう言っているように感じた。
ウラヌスの腕の中で、ネプチューンの力が抜けるのが感じられる。すぅっと眠るような表情で、ネプチューンが力尽きた。
「みちる!」
「ああ……みちる!しっかりしてください!」
二人はネプチューンに向かって声を掛けるが、反応は返ってこなかった。何度か繰り返し、その名を呼び続ける。しかし、ネプチューンが再び動くことはなかった。