無限学園への編入を数日後に控えたタイミングで、私は新居に移り住んだ。今日は海がとても騒いでいる。敵の気配をはっきりと感じるのも時間の問題だろう。
そう思っていたら、やはり数分後には敵の気配を感じ、さらにその直後、はるかから通信機に連絡が入った。
「みちるのいる場所のほうが近いみたいだ。僕も行くから待っていて」
機械に通されて少し冷たく感じるはるかの声が聞こえた。マンションの前ではるかと落ち合い、私達は無限学園エリアに突入した。
――数時間後。
私はウラヌスに肩を貸し、上半身を抱きかかえるようにしてマンションのエレベータに乗り込んでいた。深夜だったので他の住人の姿はなかった。もしそうでなかったとしても、プライバシーが守られた作りになっているこのマンションは、エレベータで他の住人と鉢合わせることがない仕組みになっているから、誰かに遭遇するおそれは低かっただろう。
二人きりで乗ったエレベータの中で、荒い息遣いが重なって響いた。ウラヌスと密着する脇腹付近が熱かった。多少、血もついているのかもしれない。
高層階へのエレベータが、いつも以上に長く感じた。目的の階に着いて、私は焦りと苛立ちを感じながらのんびりと開くドアをこじ開ける勢いで前に進み、ウラヌスを引きずるようにして外に出た。
自宅のドアを開け、ウラヌスを中に招き入れる。怪我のせいだろうか、彼女は抵抗なくすんなり上がりこんだ。
「こっちよ……」
広く作られた家の廊下が、今日は腹立たしいほど長く感じた。自分よりも背が高く、しなやかな見た目以上にしっかりと筋肉のある彼女の身体は、想像していたよりもずっと重かった。何度か立ち止まり体勢を直しながらようやくリビングにたどり着き、私はウラヌスをソファに横たわらせた。
「ごめ……みちる……」
はあはあと荒い息をつきながら、ウラヌスが呟いた。私は短く答える。
「喋らなくていいわ」
ウラヌスをソファの背の方を向かせる形で横向きに寝かせた。自らの身体を地面に打ち付けられながらも、私を敵の攻撃から守ったウラヌス。背中と腰を強打し、戦士服の背面の左半身が大きく破れていた。
私は大急ぎでタオルを水で濡らしてきた。そしてソファの傍に戻る。
背中から腰にかけての傷を改めて見て、思わず息を呑んだ。しかし、躊躇っている暇はない。私は破れた服の穴に手をかけ、思い切り引いた。
シャッという鋭い音とともに、ウラヌスの背中がさらけ出された。痛々しい傷跡が露わになる。ところどころ血も滲んでいるが、それほど大した量ではなかった。少しだけホッとする。先程濡らしてきたタオルを、ゆっくりと傷口に当てた。
「いっ……つっ……!」
堪えるような声とともに、ウラヌスが自分の腕を抱くようにして身体を強張らせた。その様子を見て、私自身が痛みを受けたかのように思わず顔を歪めてしまう。しかし、手を止めるわけにはいかなかった。素早く、しかしなるべく痛みを与えないように……私は背中から腰にかけての傷を拭き取った。それから救急箱を持ち出して、軽い消毒も行う。傷に触れるたびにわずかにウラヌスの身体がひくつき、痛みを堪えているのがわかったので、そのたびに涙が出そうになった。なぜ……どうして……そう口にしてしまいそうなのを抑えながら、私は傷の処置を進めた。
一番傷がひどかった箇所の手当をしてから、念の為他の箇所も確認する。軽い擦過傷は数多くついていたが、そちらについてはすぐに治りそうだ。
戦士である私達は、戦士姿で受けた怪我については普通の怪我よりも治りが早い。とはいえ、その回復には数時間〜数日を要する。大きな怪我については、しばらく痕が残ることだってある。今回の傷については、もしかしたらしばらくの間は痕が残ってしまうかもしれない。
手当を終えてしばらくの間、ウラヌスは静かに横たわっていた。先程よりも呼吸が落ち着いている。回復の間にいつも以上に眠くなるのは自分も経験していたから、ウラヌスは眠りについたのだろうと判断した。ウラヌスにかけてやるために、ブランケットを持ってくる。
彼女の身体にブランケットをかけようとして、はたと手を止めた。
――綺麗な背中……。
本来であれば、傷もなくつるりとしていたはずの背中。わずかに浮き出ているのが見える肩甲骨は、飛翔の戦士である彼女に与えられた翼のようにも見えた。走るときによく動かしていたのだろう、無駄な肉のないきれいな背中だった。
――こんなに、痛々しくなってしまって……。
見ていたら、また涙が零れそうだった。私はウラヌスを起こさないように、傷のない肩のラインを指でひと撫でする。それから――。
――気づいたら、私はその背中に唇を押し当てていた。自分自身の行動に驚き、はっとして、一歩後ずさる。薄暗いリビングで、ウラヌスが規則正しく上下動するのが目に入った。私はほっと胸を撫で下ろし、ウラヌスにブランケットをかけた。
――何をやっているのかしら、私は……。
恥ずかしさと自分に対する情けなさで、思わず頭を抑えた。
そのままぼーっと立ち尽くしていたが、直後、急激に眠気が襲ってくる。
ウラヌスほどではなかったけれど、自分だって多少なりとも傷を負った上にウラヌスを抱えて帰ってきたから、疲れているのかもしれない。
変身を解き、身支度もそこそこに、私はずるずると重い身体を引きずってベッドルームに入った。ピンと張られたシーツの上に倒れ込む。
ああ、疲れた……そう思った瞬間、私の意識はあっという間にどこか深い場所へと沈み込んでいった。