「え、引っ越すの」
はるかに引っ越しのことを告げると、はるかは驚いたような目でこちらを見た。無限学園への編入手続きを終え、必要書類を受け取った帰り道だった。
「ええ。海王家が持つマンションがそこにあるの」
私はたった今出てきた無限学園を振り返り、後方を示した。タワーマンションの立ち並ぶ湾岸エリアの中で、海王家のマンションはごく一般的なマンションに見えた。しかし実際は、各部屋の広さや価格は周囲のマンションに比べ遥かに広く高く、さらにはプールやジムなどの設備、セキュリテイのレベルも格段に高い。
「ジムもあるから、使いたくなったらいつでも来てくれていいのよ」
さりげなくそう言ったあとで、私はしまった、と思った。これではまるで、部屋に来るよう誘っているみたいではないか。
慌てて、横に並んで歩くはるかの顔をちらっと見た。はるかの顔色に特に変化はなく、遠くに視線を向けたままだった。心の中で少しほっとする。と同時に、残念な気持ちも浮かび上がってくる。
――やだ。私。
はるかに向けていた顔をまっすぐ戻し、それから俯いた。
――まるで期待していたみたいじゃない……。
心のどこかでは、はるかが「じゃあ、行こうかな」と返事をすることを期待していたような気がする。だけどはるかは、何も言わないばかりか、私の引っ越しに関心すら抱いていないように見えた。
もしこれが……普通の高校生の男女のカップルならどうだったのかしら――。
気軽に家に誘ったら、おかしいのだろうか。何か期待しているように見えてしまうのだろうか。
そんな無粋なことまで考えてしまって、私は思わず頭を振った。
「どうしたの、みちる」
私の様子に気がついたのか、はるかは立ち止まった。不思議そうな顔でこちらを見ている。
「なんでも、ないわ」
私は慌てて首を振り、微笑んだ。自分でもわかるが、とてもぎこちない表情だった。はるかは軽く眉を顰め、また口を開こうとする。そこで私は咄嗟に、それを遮るように言ってしまった。
「ごめんなさい。私、今日は新居に寄っていくことにするわ。ここで」
「えっ」
くるりとはるかに背を向けて、立ち去った。はるかの戸惑うような声だけが耳に届く。
なぜこのような行動を取ってしまったのか、自分でもわからなかった。ただ、勝手に自分の頭の中で想像を膨らませ、勝手に落ち込み、勝手にはるかのことを突き放してしまった。
ごめんなさい――。
心のなかで、伝わるはずのない謝罪の言葉を口にする。目頭がつんと熱くなっていた。私は思わず新居までの道を駆け出していた。