「みちるは、全部資料読めたか?」
はるかが手元の資料を捲りながら、尋ねた。
最近の悪天候や災害のせいで、はるかのレース予定とみちるのコンサートがいくつかなくなってしまった。みちるについては、災害に対する支援の一環としてチャリティコンサートのオファーもあるのだが、各地の被害の規模の大きさや頻度や復旧具合が芳しくないため、まだ具体的な話には至っていない。
期せずして二人ともオフの時間が増えたのだが、悠々と出かけられる状況ではないので、専らせつなの残した資料を読み込む時間に充てていた。
「ようやく二周目に入ったところよ」
みちるはため息と共に、紙束を閉じた。その様子を見ると、資料の読解状況は芳しくなさそうだ。はるかはわかっていながらも問う。
「どう?何かわかった?」
みちるははるかの問いに、わかっているくせに、という少しだけ非難じみた視線を向け、首を振った。
「せつながすごく大変なものを抱えていた、ということだけはわかったわ。」
「……そうだな」
二人は手元の資料に目を落とした。
資料を読んでみよう、と意気込んでみたのは良かったが、専門用語だらけで全く進まなかった。毎日ページを行ったり来たりしながら少しずつ読み進め、要領を掴んできた頃にはすでに数週間の時が経っていた。
「せつなの助けになるどころか、ついていけるかどうかすら怪しいな」
「本当に」
ソファに座っていたはるかは、ため息をついて天を仰いだ。ダイニングテーブルに座っていたみちるが立ち上がり、その顔を覗き込む。
「はるかは……」
「何?」
二人は顔が逆向きの状態で見つめ合う。
しばらくそうして見つめ合ってから、みちるははるかの額に触れるようなキスをした。
「やり残したことはある?」
はるかは目を閉じてキスを受け、そのままうーん、と考えた。
「みちると一緒なら、どんな最後でも後悔はしない、かな」
はるかはそう言ってから目を開けた。柔らかく微笑むみちるの顔が見える。
「みちるは?」
逆に問われたみちるは、愛おしげにはるかの頬を撫でながら考えた。
「そうね……」
みちるは少しはるかから目線をそらし、遠くを見つめた。はるかは目を閉じたまま、みちるが意味もなく撫でる頬から、手の温もりを感じていた。
「私は……。もっとはるかと一緒にいたいわ」
みちるは遠くを見つめたまま、そう呟いた。はるかは何も答えずじっとしている。
「私はね。はるかのこと、遠くから見つめているだけでも幸せだった。それが、いつの間にか一緒に使命を背負って戦って、隣にいるのが当たり前になって、一度は一緒に消えたけれど、今はまた一緒に生きている……。
いつの間にか私は、欲張りになってしまったわ。あなたと一緒にやりたいことがまだまだたくさんある。
もうあの時みたいに、はるかとなら地獄でも耐えて行ける、だなんて思えないのよ」
最後は少し明るく、軽い口調。もしかしたら冗談に聞こえるように言おうとしたのかもしれない。はるかはうっすらと目を開けてみちるの表情を確認した。その口調とは裏腹に、憂うような切ない表情を捉える。
はるかはその手を掴み、みちるをぐい、と引き寄せる。みちるの顔がはるかにぐっと近づいた。
「ってことは」
お互いの吐息が感じられるほどの近さで、はるかが囁いた。焦点は合わないほどの距離で、互いの瞳にその色を映しあっている。
「何としてでも僕たちは乗り越えなきゃいけないな」
はるかは、逆さの状態でみちるの唇を捉えた。不意を突かれたみちるは、吸い込まれるようにその口付けを受ける。
「んっ……」
数秒間熱い繋がりを持った後、はるかが手を離したのを合図に、みちるも唇を離した。
「随分前向きね」
「そうかな」
みちるは頷いた。はるかは宙を見ながら考える。その顔はみちるに比べるとあっけからんとしていて、清々しいほどだった。
「例えこの世がなくなったとしても。僕たちは前世からも合わせて三回再会してる。また巡り会えるさ」
はるかはそう言ってウインクしてみせた。みちるはこんな時でも余裕で気障な台詞をさらりと言ってのけるはるかに感心しつつ、その笑顔を見るとやはりぎゅっと胸が締め付けられ、痛むのを感じていた。