「木野さん、ちょっといい?」
まことがその日勤務先の菓子店に出勤すると、店長に声をかけられた。
「今日のケーキなんだけど……生クリームが予定より入荷が少ないそうなんだ。悪いけど、生クリームを使うケーキの個数を予定より減らして、卵プリンを少し多めにするから」
「ああ……そうですか。分かりました。困りましたね」
店長は困った顔をしている。参った、というようなポーズをした。
「最近気象の変動が激しいだろう。あれで生産が不安定になっているらしいんだ……」
まことは店長の話を複雑な心境で聞いていた。直接的ではないが、すでに一般市民の生活に影響が出始めているのだ。あと一ヶ月ちょっとで地球は消えてしまうかもしれないが、それ以前に通常の生活を送れなくなる日が来てしまうのではないか。
まことの目には、キッチンに並べられた菓子作りのための道具が映っている。昨日の退勤前にまことが綺麗に洗い、乾かしておいた道具たちだ。今日もまことや他のパティシエたちによって使われることを待っている道具。
まことはこの店に勤め始めた頃のことを思い出した。単純に料理やお菓子を作ることが好きで、得意だったから選んだ道。だけど実際にお店に立つようになったら、食べて喜んでくれる人がいるから作るんだ、と思うようになった。
大切な人のために贈るケーキを買いに来る人、これから頑張って仕事をする人を励ましたくてお菓子を買いに来る人、特別な記念日に特別なケーキを頼んで食べる人……あらゆる理由で店を訪れる人のために、まことは菓子を作り続けた。
「ここのケーキを贈ることができて良かったわ」
「美味しかったよ、ありがとう」
そういった言葉をかけてもらえること、そして笑顔で帰っていく姿。それらが嬉しくて、まことは頑張ってきたのだ。もう、そんな幸せな日々は終わってしまうのだろうか。
でも、ここにお菓子を買いに来る人たちはそんなことは知らない。知らずに、私達が作ったお菓子を求めて、そして笑顔で帰っていくのだ。
――悲しくてネガティブな気持ちで作ってはだめだ。だってこのお菓子は、私達が誰かを笑顔にするために作っているお菓子なんだから……。
「えーっと、木野さん、大丈夫?」
ぼーっとしていたまことを見て、店長が心配して声をかけた。
「えっ、ああ、はいっ!」
まことは慌てて向き直った。店長は、じゃあ、よろしくね、とキッチンを出ていこうとする。
「あ、あの、店長」
まことは思わず店長に声をかけた。キッチンから出る間際だった店長は、半身を後ろに振り返りまことを見る。
「私、みんなが喜ぶお菓子を作れるよう、頑張りますから!」
店長は突然のまことの発言に一瞬驚いたような顔をしたが、その後にっこりと笑顔になる。
「うん。よろしくね、木野さん」