帰宅後は、各々自由に過ごした。はるかはもう一度外に出て、一人でバイクに乗りに行った。万に一つのおそれではあったが、身体能力に影響が出ていないか気になったからというのもある。結論から言えば、影響はなかった。はるかはこれまで通りバイクに乗ることができたし、感覚も特に変わっていなかった。バイクに乗ることでいつも通りの自分に戻れたような気がして多少の気分転換になったため、確認してみて良かったとはるかは感じた。
戦士としての能力も同様だった。バイクに乗って人目につかない場所に出たついでにセーラー戦士に変身し、天界震をひとつ放ってみたが、これまで通りに変身し、技を放つことができた。ただ、今まで身につけていた戦士服がどことなく身体に合わない気がして、早々に変身は解いてしまったが。
つまり、性別が変わってしまったことを除いては、はるかの身体や能力について生活に困るような影響は出ていないということになる。いや、性別が変わるという通常では有り得ない変化があったのだから、それは十分に困ることなのだが、この信じられない状況の中で生活様式を大きく変えずとも過ごせるかもしれないと思えたことは、わずかではあったがはるかの心を安心させた。
もっともその安心感は、バイクでの帰宅途中に寄ったショッピングモールでトイレに入ろうとした時にあっさりと崩されてしまったのだった。人に事細かに見られるわけではないから素知らぬ顔で今まで通りに振る舞えばいいのだが、男性用と女性用、どちらを選んでも、嘘をついているような気がして憚られる。望んで身体が変化したわけではないのに何故自分は周りに遠慮しているのだろうと腹が立ったが、少し迷った末に自分がしっくりくる選択をできず、急を要してもいなかったため、諦めて帰宅することにした。
帰宅していつも通りにみちると夕食をとったあと、はるかはようやくシャワーを浴びる決意をした。前夜もきちんと浴びていたから今朝浴びるのをやめたのは大きな問題ではなかったのだが、このまま自分の姿を直視せずに過ごし続けるわけにもいかない。二人がオフで時間がある日はバスタブにお湯を沸かしてみちると長風呂を楽しむこともあるが、さすがにそんな気分にはなれず、シャワーで済ませる事にした。
服を脱いで鏡の前に立ったが、やはり朝とは変わらない状況だった。はるかは思わずため息を吐き、自らの姿を隠すかの如く強めのシャワーを出した。張りのある胸元に水滴が当たって弾ける。水煙と湯気に覆われ、鏡に映る自分の姿が霞んで見えた。
しばらく目を瞑り、頭からシャワーを浴び続けた。この違和感を、流れる水が流してくれないだろうか。そう思いながら。それともいっそ、この状況を受け入れて自分は今後男性として生きるべきなのだろうか。そんなことも考えた。それならば、みちるとの関係はどうなるだろう。レーサーとしての立場は?
具体的にその道を考え出した瞬間、次から次へと湧き上がる、疑問と不安。それは、自分の姿を模索していたあの頃に感じた、とらえどころの無い不安と似ていた。自分は一体何者なのか。何者として生きていくべきなのか。戦士として覚醒することでその答えを得たつもりだったが、まさかまたこうやって不安を蒸し返されることになるとは思いもしなかった。
考えに没頭したまま目を瞑り、激しい水音に身を任せていたせいだろう。はるかはバスルームのドアが開いたことに気づかなかった。
「はるか……」
不意にみちるの気配に気づき、はるかはビクリと身体を震わせた。慌てて振り返ると、そこにみちるが立っていた。しかも、一緒にシャワーを浴びようとでも言わんばかりに、一糸まとわぬ姿になって。
「……来るな!」
咄嗟に口から出たのは、自分でも驚く程の拒否の言葉だった。みちるは身動ぎせず、はるかを見つめる。はるかの中で、どくんと大きく血が騒いだ。その熱さは一瞬にして頭に昇った後、次の瞬間には、下半身にさっと流れていくのを感じる。
この感覚はどういうことだろうと、はるかは混乱しながらみちるを見つめていた。みちるは白く滑らかな肌を曝け出し、豊かなバストが視線のすぐ下に見える。はるかに当たって弾けたシャワーの水滴がぽつりぽつりとみちるの身体を濡らしていった。それらが彼女の艶やかさを一層引き立てているようだ。
みちるはいつだって魅力的で、自分は何度でもこの身体を見て興奮を覚え、夢中になって抱いてきた。
――――だけどなんだって今は、いつも以上に身体が熱くなるんだ?
はるかは狼狽し、動けないでいた。さっきまでまったくそういう気分・・・・・・ではなかったはずなのに、みちるを見たら急に身体が熱くなり、欲情してきたのだ。
そしてはるかは気づいた。自分に突如現れた下半身の異物が、自分の意思とは関係なくひくひくと動き、膨らみ始めていることを。はるかは一瞬そちらをちらりと見て、先ほどとは形を変え始めたそれに愕然とする。
「はるか」
「っ……やめてくれ!」
はるかに向けて手を伸ばしかけたみちるに対し、今度は振り払うような仕草をして強く拒否した。慌てて傍にあったバスタオルを掴み、身体に巻きつける。シャワーから流れ出る水を吸ってみるみるうちに身体に張り付いていき、はるかが最も隠したいと思っていた下半身は、むしろ強調されるように突き出て見えた。はるかはみちるに背を向けたままの状態で不自然にならないようバスタオルを巻き直し、俯いたままみちるに向けて言った。
「見せられない」
はるかはみちるの方を向けなかった。みちるも何も言わず、動かなかった。
止めることを忘れたシャワーが、下を向いたままのはるかの後頭部を打ち続けていた。バスタオルの下で疼く、自分の意思に反する何かを、はるかはじっと見つめていた。みちるははるかのその背中を見つめていた。
やがて後ろでみちるが動く気配がしたあと、バスルームのドアが閉まったことを感じた。はるかがドアの方をちらりと見ると、曇りガラスの向こうで、おそらく一度脱いだ衣服を再度身につけているのであろうみちるの動く影が見えて、しばらくしてから消えた。
みちるを強く拒絶した。おそらく、初めてのことだ。みちるに心を開いていなかった中学時代のあの頃でさえ、ここまで強い拒否を示したことはなかったはずだ。自分がしたことの大きさに気づき、はるかは改めてショックを受けた。
そして気づいた。
この姿をみちるに見せても良いと思えない限り、今後みちるを拒絶し続けなければならないのだと。
自分はもう、愛する人に自分を曝け出し、素肌を重ねることも許されないのだと。
それにも関わらず、欲望は勝手に身体の奥で生まれてしまった。みちるの裸体を見て噴き出した熱。自分の意思とは関係ないところで動き出す、下肢の物体。
自分は身体の表面的な部分だけでなく、本能までも変化し、支配されてしまったのだ。はるかはコントロール出来ない自分自身に絶望感を抱いた。
「……っ」
ドンッ、とバスルームの壁に拳をつく。シャワーに混じって、両目から熱いものが溢れた。何に対して、誰に対して怒ればいいのかわからず、やり場のない気持ちだけが鬱々とバスルームに籠り続けた。