地球をファラオ90の侵略から守り抜き、あの街を離れた二人は、束の間の休暇を存分に楽しむために海外へ渡航していた。使命が背中合わせにぴたりと寄り添い、常に死を身近に感じていた毎日に、ある日突然別れを告げることになり、正直なところ二人とも、解放感よりも戸惑いが大きかった。
「海外にでも行ってみようか」
どう頑張っても実感の湧かない心に風を吹き込んだのがはるかの一言だった。みちるは二つ返事で了承した。家柄や職業柄、二人とも海外への渡航は珍しくなく、訪れた国も数多くあったけれど、まだ互いに訪れたことのない、小さくて静かな南の島を選ぶことにした。
取り立てて予定も立てず、日がな海を眺めるか、海水浴を楽しむか、現地で車を借りてドライブをしてみるか……そんな気ままな旅が四日ほど続いたある夜。
その日は満月だった。それは自分たちのかつての主人あるじであり、つい先日別れを告げた月の王国のプリンセスを思い出さずにはいられない、美しく神秘的な光を放っていた。
二人は海辺のデッキチェアで寛ぎながら、夜空を眺めていた。ただ二人とも、恐ろしいまでに強い力を放つ月に、何も言葉を発さなかった。考えることは同じ、二人にとって、そして皆にとってのプリンセスと王国と、これまで向き合ってきた使命。だけど否応なしに脳裏に浮かんでくる絶望感と焦燥感溢れる過去の日々を、いまあえてここで口にして確かめ合う必要はないというのが、互いの答えだった。
しかし、変化は突如訪れた。
「………はっ……ぁっ」
突然強いうめき声と共に、みちるがデッキチェアの上で背中を丸めた。目を閉じて月に想いを馳せていたはるかは、みちるの異変に慌てて飛び起きる。
「みちる?!」
みちるは強く身体を強ばらせていた。よく見ると、胸元には彼女が戦士である時の相棒、深海鏡が抱かれている。何か悪い予感を察知したのだろうか。はるかは必死にみちるの肩を抱く。
「…………うっ……ああ……」
「みちる、大丈夫か?!」
彼女の額にみるみるうちに脂汗が浮かぶのを見ながら、はるかはただその背中を擦ることしかできなかった。
小さなうめき声と荒い息遣い。数分ののち、それはようやく治まってきた。呼吸が落ち着いてきて、みちるはようやく、固く閉じていた両眼を薄く開いた。
「ごめんなさい……なんだか急に、苦しくなってしまって……」
「敵の気配がしたのか?」
はるかの問いかけに、みちるはゆるゆると首を振った。
「わからないわ。ただ、急に胸が詰まってしまったの。…………月を、見ていたら」
みちるは一瞬、上空に覆いかぶさるはるかのその向こう側にある月を思い出すように視線を投げかけてから、すぐに目を伏せた。まるでその姿を恐れるかのように視線を逸らした彼女の代わりに、はるかは振り向いてもう一度月を見上げる。
相変わらず、不気味なほどの力で二人を照らすそれは、心なしか見えない圧をかけるかのようにこちらに迫ってきているように感じる。
はるかは背筋にひやりとした汗が流れるのを感じた。使命から解放されたはずの自分たちが、やはり逃れることのできない月からの束縛を受けているのだと――そう、背中に語りかけられた気がしたのだ。
急いでみちるに向き直り、ひょいと彼女を抱え上げた。みちるは反射的にはるかの服の胸元をぎゅっと掴む。不安そうな瞳で見上げたみちるに、はるかは精一杯の優しさで微笑んだ。
「今日はもう寝やすもう。……大丈夫、僕が傍にいる」
それははるか自身が、早くその視線が届かないところに逃れたいと思っていての発言だったのかもしれない。腕の中で小さく震えるみちるを抱えながら、はるかは海辺の小さなコンドミニアムに駆け込んだ。
海と、砂浜と、夜空と。窓から見える美しい景観が売りの一室も、今日は二人をひたひたと追い詰める要因にしか感じられなかった。ベッドにみちるを横たえたあとさっとカーテンを引き、はるかは自身が窓側に寝ることで、ささやかながらみちるを恐怖から遠ざける。
不安の色を浮かべたままの彼女の唇にそっと触れてから、腕の中に抱き込んだ。
明るすぎる月の光が、今日はみちるの元に届かぬよう。静かな波音と風の息遣いだけを子守唄に、安らかに眠れるよう。
はるかは見えない何かに祈りながら――祈るという行為を自分が行うことに、はるか自身がやや物珍しさも感じながら――闇に溶け込むように眠りの中に落ちていった。