大袈裟ではなく本当にふたりは、キスをしているだけで満足して一夜を終えてしまうのではないかと思えるほど、じっくりとその時間を楽しんでいた。
やがてはるかはみちるに舌を押し込んだまま、みちるの背後に向けて力を込めベッドの上に倒れ込んだ。均衡が崩されたことに戸惑いながらも、みちるははるかに身を任せて身を横たえる。
滑らかでシワひとつないシーツの上に、エメラルドグリーンのウェーブが放射状に広がった。はるかはずっと重ねていた手を握り直す。みちるはそれに応えるよう、指を絡めた。もう一方の手でみちるの頭部から頬にかけてをゆっくりと撫でてゆき、耳たぶに触れ、首元に落ちた髪を攫う。はるかが顔を上げると、みちるは蕩けた視線で彼女を見つめていた。
「みちる……」
はるかは思わず呟いた。掠れた声音と思い詰めた表情が余裕のなさを物語っているようで、みちるの胸の奥もぐっと詰まる思いがした。
「はるか」
求めるように手を伸ばすと、はるかは応えるようみちるの首元に顔を埋めた。熱い息が首筋に当たり、みちるは思わずため息を漏らす。
「ふっ……ああ……」
みちるの首筋に、はるかは唇を押し当てた。薄く白い皮膚を啄むように食まれ、みちるは思わず息を呑む。擽ったさと恥ずかしさ、それからえも言われぬ感覚で身体が震え、全身が熱くなった。
それからはるかは、みちるの首筋の形を確かめるよう、舌で下から上に向けて撫で上げた。みちるは堪らず声を上げる。
「んっ……はるか……だめ……」
鼻にかかる切実な甘い喘ぎは、はるかを躊躇わせるどころか、強い興奮と喜びを与え、行為を加速させた。身を捩り背中をぎゅっと握るみちるが、快楽に溺れながら自分を強く求めているように見えて、言葉に言い表せないほど愛おしく思えた。首筋から柔らかな耳たぶにかけて、はるかは唇や舌で丁寧に愛撫した。その動きひとつひとつにみちるは反応し息を乱す。その反応にはるかの気持ちが昂り、またみちるを愛でる。その連鎖で、はるかはみちるの身体を夢中になって貪り、みちるは与えられる快楽に溺れ続けた。
はるかは次第に首筋から鎖骨にかけて舌を這わせていった。ホテルに着いてからみちるが身につけていた胸元の広く開いたドレスを、背中のチャックを緩め、肩の部分からそっと下ろしていく。ふとみちるの表情を覗き見ると、頬を上気させ、潤んだ瞳でこちらを見つめるのが目に入った。
「みちる……可愛い」
はるかから自然と零れた言葉に、みちるは戸惑ったような視線を返す。これまで、〝そこら辺の仔猫ちゃん〟に向けて、社交辞令として交わされてきた褒め言葉。歯の浮くような台詞を実に自然と吐くはるかの言葉を、どこまで真剣に捉えれば良いか、みちるはまだ計りかねていた。
「どれほどたくさんの女の子にベッドで愛を囁いてきたのかしら?」
「みちるが初めてだよ」
まさか、とみちるは目を丸くする。ここまでの流れは実に手馴れていて、初めてとは到底思えなかった。事実、みちるはまだ服もろくに脱がぬうちから、はるかの巧みな愛撫に溺れていたのだから。
はるかは軽く赤面しながらぼそりと呟く。
「みちるほどの人を満足させるなら………そりゃあ、多少は頑張らないと、ってさ」
みちるは暫し目を瞬かせて考えていたが、少し遅れてはるかの発言の意味に気づき、赤らめていた頬をより一層濃く染めて言った。
「はるか、わたしをそんな目で見ていたって言うの?」
「え?」
「わたしはあなたが思うような人間じゃないわ。……そんな、まるでわたしが、経験豊富みたいな言い方」
今度ははるかが目を丸くする番だった。あからさまに困惑した様子で、はるかは言う。
「だって………………え? きみほどの人が?」
「だから、きみほど、ってどういう意味よ。あなたこそ、あれほどたくさんの女の子を誑かしておいて、今さら初めてだなんて嘘くさいわ」
つい数分前まで和やかに睦みあっていたのに、急に雲行きが怪しくなり、はるかは慌てて首を振った。みちるは疑わしげにはるかを見上げて睨んでいる。
「違う。気を悪くしたなら謝るよ、ごめん。きみがあまりに綺麗で大人びているから、きっと恋愛経験も多いんじゃないかって勝手に……」
急にしおらしくなって謝ったはるかを、みちるはじっと眺めていた。
みちるははるかに出会う前、彼女のことを知るために身辺調査をしている。使命を遂行する中でいずれ関わりを持つことになるかもしれないから、という理由での調査だったが、それはほとんど言い訳のようなもので、実際はみちる自身が彼女について知りたいという欲求を抑えられなかったからであった。みちるははるかの生家のことや幼少期の様子、ジュニアレーサーとしての活躍ぶりなど、可能な限りの情報を集めた。その中で、意図せず交友関係も知ることとなったわけだけれど、正直なところ、はるかがどこまで本気で恋愛をしており、どこまでの経験があるのかまでは把握できなかった。みちるが得た情報はあくまで誰と付き合いがあったか、という事実だけであり、そこにはるか自身の思いは伴わないから当然である。
振り返ればその調査は、“天王はるか”を知るにあたって、何の意味もなかったとみちるは思った。文字だけで得られた情報は、あくまで事実をみちるに知らせただけであり、はるかの本質は何も伝わって来なかったように思う。
結局のところ、はるかと直接関わるようになってみちる自身が感じた情報や、はるか自身の口から語られた言葉だけが、信じるに足るとわかったのだ。
はるかが軟派で多くの女性に声をかけてきた姿をみちるは見ているしそれも事実ではあるが、彼女が「初めてだ」と言うのであれば、今のみちるはそれを信じる他ない。
少し迷ってから、みちるは軽く微笑んで口を開いた。
「わたしたち、お互い思い込みが過ぎたのかもしれないわね」
「そう……だな」
みちるの言葉に、はるかも頷いた。
よく知っているようでいて、まだ互いのことを何も知らない。ふたりはそれを実感していた。戦士として隣を歩くようになってからまだ数年。その中で、プライベートな話をしたのはほんの僅かな時間だけ。頭の中にあったのは常に使命に関連することばかりで、相手のことは二の次だった。ましてや、恋人同士として互いの存在を正式に意識し始めたのはつい数時間前のことだ。
はるかはみちるの額を撫で、もう一度口付けた。啄むような浅いキスを数回して、また舌を深く絡め合う。すでに数え切れないほど繋がったのに、何度味わってもその行為に引き込まれ、没頭する。満ち足りた空気がふたりを纏う。
「でも、驚いたな」
余韻と共に離れたはるかが一言呟く。みちるが不思議そうな顔つきで見つめていると、はるかはみちるの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「みちるは初めてとは思えないくらい、キスが上手い」
「…………ばか!」