「はぁ……あっ……ん」
「みちる。声出てるよ」
はるかに耳元で囁かれ、みちるは慌てて自分の制服の袖口を噛む。自らの吐息が熱く漏れ出るのを感じて、羞恥と興奮でどうしようもなく身体が熱かった。今の時間、ここに来る生徒はいないはずだが、それでも誰かに見つかるのではないかというスリルが足元から迫ってきて、全身が粟立つように興奮する。けれど、困ると思えば思うほど、身体は拒否するのではなくむしろ鋭く反応するから、自分でも戸惑いを感じていた。
背後からはるかに抱き抱えられるように胸元を捲り上げられる。支えとなる物は……ないことはないが、自分の体重を預けるのは躊躇われたので、足を震わせながらどうにか自力で立っていた。
―こんな時に。こんな場所で。
みちるの脳裏にはるかに対しての非難めいた感情が浮かぶけれど、それとは裏腹に身体が喜んで受け入れようとしていることもわかっていた。だから、頭に浮かぶそれらの感情を飲み込み、ただ声を押し殺しながらはるかの愛撫を受け入れ続ける。
放課後の、音楽室。
はるかとみちるは、数週間後に迫った学園祭でピアノとヴァイオリンのデュオを演奏することになっており、その練習のためにここにいた。
高校生にして天才レーサー、そしてピアノの名奏者であるはるか。同じくヴァイオリニストで画家でもあるみちる。
潜入のために転校してきた無限学園で目立つ真似は避けたかったのだが、学校側が二人を放っておくはずがなかった。多くの優秀な学生を集めたい学園は、話題作りも兼ねて二人を学園祭の目玉としようとしたのだ。
「下手に目立つのはやめましょう。危険よ」
そう言って断ろうとしたみちるだが、はるかは意外にも肯定的だった。
「何か敵の動きがあるかもしれない。むしろチャンスだぜ」
そんなはるかの後押しがあり、二人は学園祭に出演することを決めたのだ。
学園祭そのものには全く興味がなかったから、演奏も二人にとっては戯れと言っても過言ではない。練習という名目で毎日音楽室に入り浸ってはいたものの、実際に練習するのは最初の数十分程度。特にはるかがすぐに飽きて、練習は中断してしまうのだった。
「はい。今日はここまで、っと」
「え、もう?」
「ほら、こんな練習はやめてそろそろ調査にでも行こうぜ」
ピアノを弾くのをやめて立ち上がったはるかに、みちるは眉を顰めてため息をついた。
いくら学園祭自体に興味がないとは言え、出演することになった以上は下手な演奏はできない。そう思っているのはみちるだけのようだ。
しかし、はるかはそれでいておそらく本番は完璧な演奏をするのだろう。そういう人だとみちるはわかっていたから、なおさらに強く嗜めることができない。
実際はるかの言う通り、今は練習以上に調査の方が大事なのも事実だ。
はるかは立ち上がり、何故か音楽室の入口とは逆方向に進んで行く。みちるはそれを横目で見送りながら、ヴァイオリンをケースにしまった。
「ねえみちる、ちょっとこっち来てよ」
少し経ってからはるかに呼ばれてみちるがそちらを振り返ると、いつの間にかはるかの姿は教室内から消えていた。代わりに「音楽準備室」と書かれた奥の小部屋のドアが開いている。
普段は備え付けのグランドピアノと持参したヴァイオリンを使用している二人は、その準備室に入ることはない。はるかは一体何をしに行ったのだろう、そう思いながらみちるは音楽準備室に足を踏み入れた。
そこには数多くの楽器が並んでいた。音楽の授業で使うためのものだろう。木琴や鉄琴、ティンパニ等の打楽器や、ラッパやトロンボーンなどが納められているのであろうケースが所狭しと並んでいる。
端には棚があり、硝子扉の向こうにたくさんのメトロノームが並んでいた。
「まあ。こんなにたくさん楽器があったのね」
はるかはみちるに背を向けたまま、手前にあった鉄琴のバチを手に取り音を鳴らす。透明感のある音が部屋に響き渡った。
「勝手に触ったら怒られるわよ。吹奏楽部が使うんじゃなくて?」
みちるがはるかに近づいて行って言うと、はるかはいたずらっ子のような笑みを浮かべて振り向く。
「大丈夫だって。吹奏楽部は第一音楽室でやってるだろ?こっちは授業用」
はるかはそう言って、今度は木琴も同様に叩く。ポンポンポン。楽しげな音が響き渡った。
確かにはるかの言う通り、二人が今いるのは吹奏楽部が放課後使用する第一音楽室ではなく、生徒が自由に予約して使うことのできる第二音楽室だった。さすが、芸術分野にも力を入れる学校である。音楽室を二つ用意している上に、どちらの音楽室にも豊富な種類の楽器を備えているのだ。
「だからって、勝手に遊んでいいわけではないと思うけど……」
「ちょっとだけだから。ほら、みちるも何か弾いてみて」
はるかにニヤッと笑いながらバチを手渡されると、みちるにも少しだけいたずら心が芽生えてくる。言われるがまま、鉄琴で軽くメロディを奏でてみる。
みちるが弾くのに合わせ、はるかが木琴を叩いた。即興にも関わらず綺麗に合わせたはるかの演奏は見事なものだった。
「ピアノとヴァイオリンじゃなくて、木琴と鉄琴で演奏するのもいいかもな」
「バカね」
はるかは笑いながらバチを戻した。みちるも同様に手に持っていたバチを戻す。はるかはまだ飽きずに部屋の中を歩いてあれこれ楽器を見て回り、奥まで行ってからまたみちるのいるところまで戻ってきた。
「ここ、なんだか秘密基地みたいじゃないか?」
少年のように目を輝かせ、はるかは言った。確かに、準備室は少しだけ天井が低く、楽器がそこここに並んでいるから、まるで迷路のようだ。音楽室が広くて天井の高い作りになっている分、その狭さが余計に際立つ。はるかが「秘密基地」と表現するのも頷けた。
「確かに、そうね」
「ね。もうちょっとだけ遊んで行こうよ」
みちるが、あ、と思った瞬間、もう遅かった。はるかがみちるの腕を掴む。
「遊ぶって」
「秘密基地で遊ぶって言ったら、秘密の遊び、だろ」
みちるは吸い寄せられるようにはるかに腕を引かれ、そのまま唇を奪われる。一方を楽器に、もう一方を授業に使うと思われるホワイトボードに塞がれたその場所で、みちるは身動きが取れず、なすがままにはるかを受け入れた。