みちるの家の方角に向かって、はるかは依然としてとぼとぼと歩いていた。久しぶりに一人で歩く通学路は、寒々しくて、寂しい。心なしか、いつもより冷たい風が吹いているような気さえした。
寒さで肩をすくめながら歩いていると、程なくしてやや大きめの公園に行き着く。公園に沿って歩いていると、園内のベンチにみちるが座っているのが見えた。
――あれ。
はるかはすぐに気づき、立ち止まる。俯いた様子で膝にヴァイオリンのケースを置き、ぽつんと座るみちる。
一瞬躊躇ったが、はるかは公園に入ってみちるに近づいていった。傍まで近づいていったが、俯いているみちるははるかに気が付かない。
「あのさ」
はるかは思い切って声をかけた。みちるがびくりと身体を揺らし、はるかを見上げる。赤みを帯びて潤んだ瞳が驚いたように見開かれ、はるかを見つめた。
「ここ。いいかな」
はるかはみちるが座るベンチを指差して、言った。みちるは一瞬躊躇ったように目を伏せたあと、身体を半身ずらしてはるかが座る場所を作る。
「どうぞ」
小さな声で呟いて、みちるははるかを招いた。ありがとう、とはるかはみちるの横に座る。
はるかが座ってからしばらく、二人は何も話さずに黙っていた。陽が沈む間近の公園には、放課後を思い切り楽しんだと思われる小学生がちらほらといて、そろそろ帰ろうなどと話しているのが聞こえる。はるかとみちるは黙ってその様子を眺めていた。
「あのさ」
「あのね」
しばらくして二人が口を開いた瞬間、その声は綺麗に重なった。二人は一瞬きょとんとして目を丸くしてから、互いに頬を染める。
「あ……ごめん。何?」
はるかが頬を掻きみちるに発言を促した。みちるは手を横に振り、発言権をはるかに譲ろうとする。
「いえ、いいの。大したことじゃ、ないわ」
明らかにお互いに動揺を隠せず、目を逸らしてしまう。気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「……こんな漫画みたいなこと、本当にあるんだな」
はるかがみちるから目を逸らしたまま髪を掻き上げて、言う。
みちるはその横顔をこっそり見つめた。夕陽が当たり、オレンジ色の光を反射する頬と額が美しい。
「ああ……でもみちるはあんまり漫画とか、読まないか」
苦笑いに変わるはるかを見て、みちるは思わずくすりと笑った。はるかがそれに気づく。
「な、なんだよ」
「いいえ」
みちるはそれだけ言ってはるかに微笑んだ。
はるかを間近で見ていたら、みちるは自分の単純さに呆れてしまうくらい、先ほどまで感じていた虚しさや愚かしさが消えてなくなるのを感じていた。
――はるかの横にいて、笑顔を見られる、それだけでよかったのに。
「私、随分欲張りになってしまったわ」
「え?」
みちるが呟くように言った。はるかはなんのことかわからずに戸惑った顔をしている。
「ねえ。私の鞄」
みちるは、はるかの横に置かれた通学鞄を指差した。はるかは、ああ、と言ってそれを持ち上げる。
「開けてくださる?」
「え?」
思わぬ依頼にはるかが戸惑ったような声を上げてみちるを見たが、みちるは、どうぞ、と言うような仕草で鞄を指す。はるかはみちるに従って鞄のファスナーをゆっくりと開いた。
開けた瞬間に出てきたのは、ピンクと赤の綺麗な包装紙に包まれた箱だった。
はるかはあれ、と気づいたように表情を変え、みちるの方を見る。
「まさか、鞄ごと持っていかれてしまうとは思わなかったわ」
みちるが口元に手を当て、ふふっと笑う。はるかの頬が瞬時に赤く染まった。
「いや、そんなつもりは」
「冗談よ」
みちるはからかうように言って、鞄に手を伸ばしてチョコを取り、改めてはるかに向けて渡す。
「はい。私のチョコが増えたところで、沢山の中のひとつにしかならないかもしれないけれど」
はるかはみちるからチョコを受け取った。自分の頬が一気に熱くなるのを感じながら、ありがとう、と小さく口の中で呟く。
はるかはしばらく受け取ったチョコを見つめていた。それから、躊躇うように視線を泳がせて、こう付け加える。
「みちるから貰うチョコは……特別、だから」
今度はみちるの頬が熱くなる番だった。思わずパッと頬に手を当てる。冷えた指先は頬の火照りを冷やしたけれど、胸はドキドキと強く鳴り、収まる様子がなかった。
二人の目の前を、小学生たちがはしゃぎながら駆け抜けていった。はるかとみちるは、それぞれが自分の胸の鼓動を抑えようとこっそり奮闘しながら、しばらく黙って座っていた。
「えっと。じゃあ。寒いしそろそろ……帰ろうか」
はるかがまだぎこちなさの残る口調で声をかけ、立ち上がった。みちるも、そうね、と後に続く。
ベンチを背に歩き出すと、先程よりも随分と長く伸びた影が二人の前に伸びた。
少しだけ距離のあるその影が寄り添って歩くようになるのは、まだ少し先のこと――。