春の深まりを感じる、穏やかな晴れた朝。外部太陽系戦士四人が暮らす静かな家で、事件は起こった。
「せ、せつな!!」
静寂を掻き消したのはみちるの声。はるかとみちるが過ごす寝室の方から叫び声がして、朝食の準備をしていたせつなはそちらに顔を向ける。
――みちるの声?……にしては、いつもと雰囲気が違う気がするけれど。
ただならぬ様子に嫌な予感がして、せつなはコーヒーを入れるために持ち上げたケトルを元に戻した。慌てて寝室の方に向かいながら、声をかける。
「どうしたんですか?」
せつなが声をかけるや否や、寝室からドタバタと出てきたのは、みちるだった。
「みちる? どうしたんです……」
「み、みちるが」
目の前のみちるに問いかけると、ちぐはぐな答えが返ってきた。せつなは眉を顰めて問い返す。
「え?」
みちるは、寝室を指差して口を開く。が、頭が混乱しているのか言葉が出てこない。目を泳がせながら、辿々しく話す。
「えーと……。起きたら僕がみちるになっていて。みちるが僕になっていて。つまり、その。……僕は、はるかなんだ」
多少混乱して上ずってはいるものの、みちるの優雅な麗しい声が、「僕」とか「はるかなんだ」と発するのはとても違和感があった。せつなが何か言おうと口を開きかけると、みちるの背後からはるかが出てきた。
「ああ、せつな。おはよう」
みちると比べると随分と落ち着いた、いつものはるかの声だった。しかしその顔は困ったような表情をしており、口元に手を当てて悩ましげに呟く。
「困ったわね。朝起きたらこんなことになっちゃってたの」
はるかは、彼女には似つかわしくない口調でそう言った。
あまりに自然な所作に、せつなは言葉を発せられないまま二人を見比べた。見た目はどう見てもいつも通りの二人なのだが、はるかは困ったような表情を浮かべたまま優雅な姿勢で立っており、みちるは慌てたような表情で仁王立ちしている。
――この状況は一体……。
せつなは思わず首を振り、ため息をついた。額に手を当てる。
「二人とも、ふざけている……わけではないですよね」
せつなの問いかけに、二人は首を振る。せつなは念の為頭の中で今日の日付を思い出し、エイプリルフールは過ぎていることを確認した。もう一度ふう、とため息をついて、薄着で立っている二人をちらりと見てから口を開く。
「えー。とりあえず……二人とも着替えてきて。それから朝食を食べながらゆっくり聞かせてもらえますか」
せつなはリビングに戻り二人を待ちながら、思いを巡らせていた。突然のことでまだ頭の理解が追いついていないが、この奇妙な出来事で真っ先に思いついたのは新たな敵の出現だった。
――だとすると、今日ほたるがここにいないことを、よかったと思うべきか、否か……。
ちょうどほたるは、土萌教授に会いに行っており留守にしていた。セーラー戦士としての戦いが終わって数ヶ月。土萌教授はほぼ回復してきており、リハビリも順調とのことで、徐々にほたると二人で過ごす時間を延ばしているところだ。ほたるは今日までに何度か、土萌教授の待つ自宅に泊まって過ごしている。つまり、外部太陽系戦士四人での生活にも終わりが見えてきているということだ。
ほたるは、土萌教授とともに新たな人生に向かって進もうとしているところだ。せつなはこの状況に水を差すような真似はしたくないと思っていた。もちろん、ここでの生活が終わったとしても、彼女がこれからもセーラー戦士としての宿命を持ち続けるということに変わりはない。だが、今は……少しタイミングが悪い。
せつなが先にテーブルについてそんなことを考えているうちに、二人がリビングにやってきた。はるかはラフなパンツスタイル、みちるはワンピースを着ていていつも通りの姿ではあるのだが、どこか落ち着きのない表情をしている。
「みちるの服装、なんか落ち着かないんだよな……」
みちる……の姿をしたはるかが、ワンピースを摘んで顔を顰める。はるか姿のみちるは、上品にくすっと笑った。
「しょうがないでしょう。私が持っている服は大体そんな感じだもの」
二人の話し方にまだ慣れないせつなは、戸惑いながらその様子を眺めていた。
それでも二人が席に着くと、いつも通り冷静な口調で話し始める。
「で……二人は朝起きたらこうなっていた、ということで合っていますか?」
せつなの問いかけに、二人はほぼ同時に頷いた。はるかが口を開く。
「僕が朝起きたら、誰かに腕枕されている上に髪が伸びてたんだ。驚いて起きてみたら、僕のことを腕枕をしていたのは僕自身だったってわけだ」
そりゃ驚くだろう、と言わんばかりにはるかは言ってから、コーヒーを啜った。先程までは慌てた様子だったのに、今は落ち着いたのか、少し状況を楽しんでいるようにすら見える。
せつなは半分呆れながらみちる――今の見た目ははるかだが――を見る。みちるは頬を赤らめて頷いた。
「ええ、そうね。起きたら私の腕の中に私がいたの」
そう言ってから自分の発言が恥ずかしくなったのか、みちるは目を伏せて、カップを両手で包むようにして口元に持っていった。その少女のような仕草はみちるそのものなのだが、見た目はやはりはるかだ。
見た目が入れ替わっていることを除けば、喋り方も仕草も、惚気具合もいつも通り。
せつなはそうやって二人の表情を見比べてみた後で、メモに線を書き始めた。そこに昨日の日付と今日の日付を書き込む。
「昨日二人が寝たのは、二十三時頃でしたっけ」
せつなは昨日二人が寝室に入った時間を思い出しながら、昨日の日付と今日の日付の境界線の近くに「就寝」の文字を書く。
「そのくらいかな。まあ実際に寝たのはもっと遅かったけど」
はるかが含みのある笑顔を浮かべて言った。その笑みが浮かんでいるのはみちるの顔の上なのだが、みちるはそのような表情をしたことがないので、せつなは思わず目を瞬かせた。
「……まあ、部屋で何をしていて何時に寝たのかまでは細かく聞きませんが」
せつなが軽く咳払いをして言った。
「寝てから起きるまで大体七時間くらいでしょうか。この間に二人は入れ替わっていた、と」
せつなは今日の日付が書かれた範囲の中に「七時 起床」と書いた上で、日付が変わるラインから朝七時頃までの時間に斜線を引いた。ここまでのやり取りで、ヒントらしいヒントは特にない。
「うーん。新たな敵の仕業……でしょうか。何か気配は感じましたか?」
せつなの問いかけに、はるかは首を振った。
「敵の気配は感じなかったな。感じてたら起きてやっつけてるさ。みちるは?」
みちるも首を振った。
「私も感じなかったわ」
「そうですよね……」
二人の答えに、せつなはため息をついてメモを手に取って眺めた。だが、二人の就寝時間と起床時間が書かれただけのメモが何かの役に立つわけでもない。
ふと、せつなの視線が、メモ越しに見えるみちるのディープ・アクア・ミラーに移った。それはみちるの手元――今の見た目で言えばはるかの手元になるが――に置かれている。
「みちるの鏡には、何か映っていませんか?」
みちるはミラーに目を落とす。そのまま俯いて、鏡を見つめていた。すぐに返事を返さないことを不思議に思ったせつなが、みちる?と問いかける。
みちるは顔を上げて一瞬躊躇うような視線をせつなに送り、首を振った。手元のミラーを持ち上げて、覗く。
「いいえ。何も」
「そうですか」
せつなはメモをテーブルに置いてから、コーヒーを口にした。はるかとみちるもそれぞれ、せつなが準備した朝食に手をつける。
「まあ、こうなってしまったらしょうがないな」
はるかもコーヒーを啜りながら言った。みちるも頷く。
「そうね。元に戻るまで上手く過ごすしかないわね」
せつなは、その会話を聞きながら二人の様子を眺めていた。
元々二人は所作が整っていて綺麗だから、ただ朝食を食べている姿を見るだけでは入れ替わっていることに気づかないくらいだ。しかし、せつなは二人としばらく一緒に暮らしてきたから、何となくそれぞれの動きの癖はわかる。
今せつなの目の前のみちるの姿をした人物は、いつもはるかがコーヒーを飲む時の手の角度でカップを持っている。そしてはるかの姿をした人物は、丁寧にちぎったトーストを口に運んでいた。その指の動きがみちるを思わせる。
何より、口を開けばはるかの口調でみちるが喋り、みちるの口調ではるかが喋る。先ほど見た立ち居振る舞いや歩き方も違っていた。間違いなく二人は入れ替わっている。
せつなはそう確信してはいたが、それにしても目の前の違和感を受け入れることはなかなか困難なことだった。
「とりあえず、私は敵の情報がないか調べてみますね」
せつなは呟いて立ち上がった。
「ああ。頼んだよせつな」
本来ははるかの口から発せられるはずだった優雅な声に見送られ、せつなは自室に戻った。