暗く静かになったリビングに、チョコレートの甘い香りとラベンダーの香りがほんのりと漂っている。テーブルにはアロマキャンドルが焚かれ、温もりのある柔らかい光が、リビングのその空間だけを浮かび上がらせるように仄かに照らしていた。
はるかとみちるは赤ワインの入ったグラスを片手に、ソファに横並びに座っていた。はるかはフォークを口に運ぶ。
「おいしい。苦味と甘みのバランスがとてもいいね。さすがみちる」
はるかの言葉に、みちるはにっこりと微笑んだ。
「ふふ。やっぱり今日作ってよかったわ」
明日ははるかの誕生日。誕生日当日の明日は、みちるとプレゼントを買いに行ってから、せつなやほたると一緒にホテルのレストランでランチをしてケーキを食べに行こうと約束している。いくら甘いものが好きなはるかでも、一日にいくつもケーキがあってはゆっくり味わうこともできないだろう……と、みちるは前日に手作りのケーキを用意したのだ。しっとりとして重みがあり、かと言って甘すぎない。少しだけ洋酒も入れた、夜の大人向けガトーショコラ。
最初はせつなも一緒にどうか、とみちるが誘ったのだが、遠慮したのか即断られてしまった。
「あら……でもガトーショコラに合うワインもあるのよ。少しだけでもいかが?」
みちるはそう言ったのだが、せつなはため息をついて首を振った。
「……であれば、尚のこと遠慮します。ワインを飲んだらあなたたち……ほどほどにしてくださいね。お願いしますよ」
せつなにそう断られる心当たりはあったので、みちるはそれ以上せつなを誘うことはしなかった。
いろいろと察した上で、「たまには一緒に寝ましょう」と早々にほたると寝室へ行ったせつなには、やや感心さえ覚えてしまう。
「これ、ワインとも合うんだな」
ガトーショコラを口に含み、蕩けさせるように口の中で味わってから、ワインを少しだけ口に含む。
少しだけアルコールが入って、はるかが熱っぽい目で見ていることにみちるは気づいていた。ちらりと流すように視線を送り、自らもワインを口に含む。はるかの手がみちるの腰に回された。
「ねぇ……」
はるかが誘うような声を漏らしたのでみちるが顔を向けると、はるかはみちるにそっと口付けた。
チョコレートの甘みと苦味、それからワインの苦味。お互いの口内でそれらが行き来する。舌も一緒に蕩けてしまうのではないか、それほどに二人の中は温かく、そして柔らかい。
はるかはそのままみちるをソファに沈めようとする……が、みちるはそれをやんわりと制した。
眉を顰めて唇を離したはるかの前に、みちるは人差し指を立てる。
「だめよ。ワインを飲んでる時は」
「なんで」
みちるは軽いため息をつく。
「前にここでワインを飲んで……飲みすぎて、後からせつなに怒られたでしょう。覚えてないの?」
「そうだっけ?」
はるかがとぼけるので、みちるは呆れた顔をする。確かにこのムードを止めるのはみちる自身も野暮だと思ったが、お楽しみは寝室に行ってからでも良いのだ。
みちるが本気で止めていることに気づいて、はるかはちぇ、と舌打ちをする。拗ねたような顔でみちるに言った。
「明日は僕の誕生日だよ」
「ええ、もちろん知っているわ」
「プレゼントが欲しいんだ」
「だから明日、買いに行くじゃない」
「僕が一番欲しいもの、知ってるだろ」
はるかの猛烈な押しにも、みちるは強い視線で応える。はるかは不満げにもう一口ワインを口に含んでから、あ、と思いついたような顔をした。
「……そうか。ここじゃなければいいんだな」
「え?」
みちるが何のことかわからずに聞き返すと、はるかはニヤリと笑う。
「……まあ、ひとまずはこのケーキを美味しくいただくことにするよ。もうすぐ日付も変わることだし」
はるかは残り少なくなったガトーショコラを手に、時計を見る。もうすぐで一月二十七日0時……日付が変わればはるかの誕生日だ。
それからはるかはゆっくりと時間をかけ、ワインと残りのガトーショコラを味わった。
やがて、時計が0時を回る。
「はるか、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
今度はみちるからはるかにキスをする。ガトーショコラとワインの香りがまだ淡く残る口内を、はるかの舌がゆっくりとなぞり、そして唇が離れた。
予想よりも短く終わったその口付けに、軽い違和感を覚えてはるかを見つめていると、はるかがニヤリと笑う。
「プレゼント、もらわなくちゃ」
はるかがみちるにはい、と言って手渡したのは、半分ほど残ったワインボトルと空のグラス。
注げばいいのかしら、と軽く塞がれた栓を取ろうとすると、はるかにやんわりと止められる。
「ちょっと後ろ向いてね」
はるかはみちるを立たせて後ろを向かせると、ポケットから取り出したハンカチでみちるに目隠しをする。
「え?ちょっと、はるか!」
みちるが驚いて声を上げるが、はるかは気にもとめず、みちるの背中と膝裏に手を差し込んでひょいと持ち上げた。
「どこに行くの?はるか」
「ワインを零しても怒られない場所、かな」
そう言ってはるかは歩き出す。