スケジュールに空きが出て少し時間があったので、今日は途中で車から降ろしてもらうことにした。少しだけ帽子を深く被り、美奈子は歩き出す。
高校時代、毎日のように歩いた街並み。最近はあまりここを歩くことはなくなってしまったけれど、久しぶりに通ると、あの頃と変わらない景色が出迎えてくれる。ただ、人通りや活気は減り、雰囲気が変わってしまったように感じられた。
並木道の木々は、十一月中の恐ろしいまでの異常気象ですっかり葉が落ち、一部は枝折れなども起きて悲惨な姿になってしまっている。
火川神社の前に差し掛かった。階段を見上げる。
――なんだか、懐かしいなぁ。
戦っていた時は、敵に関する相談事もしたし、レイの部屋で受験勉強に明け暮れたこともあった。ただお喋りしたりテレビを見るためだけに集まったこともあったっけ……。
そんな日々を思い出しながら、美奈子は、階段を昇り始めた。
上段まで昇り切ると、そこには祈祷客を見送るレイの姿があった。美奈子は目立たないように帽子を被っていたが、レイはすぐに美奈子に気づく。
「美奈子ちゃん」
レイが近寄って声をかけた。
「レイちゃん。どう?元気してる?」
美奈子は帽子のつばを指でちょいと持ち上げ、レイに言った。夕方に近かったこともあり、すでに参拝客はほとんどいない。美奈子は帽子を外し素顔を晒した。
「まあまあね。物騒な世の中になっちゃったから、なんだか御祈祷のお客さんは増えちゃって。ありがたいけど」
「そっかぁー」
美奈子はレイに返事を返しながら、ちくりと胸が痛む。
実は自分の方は仕事が減りつつあった。災害や不景気で世の中が暗い雰囲気になっているから、エンターテインメントが減らされてしまうのは無理もないことである。いや、例えこんな事態にならなかったとしても、アイドルとしてデビューして数年経ち人気も落ち着きつつあったから、そろそろ自分の転機となる次の仕事を考えなければならないところだったのだ。
不謹慎かもしれないが、仕事に勤しむレイを美奈子は羨ましく感じた。
急に現実を思い出してしまったので、慌てて気を紛らわすように呟く。
「あーあ。あたしもレイちゃんに祈祷してもらおうかなあ」
「あら。私の祈祷は高いわよ」
レイは澄ました顔で答えた。
「レイちゃんたら……そこは知り合いなんだから安くする、とか言ってよ」
美奈子が言うと、レイはくすっと笑った。
「冗談よ。美奈子ちゃんがそんなふうに言うなんて珍しいわね」
二人は、かつて敵の情報交換をするために集まった境内に並んで話していた。美奈子は空を見上げる。今日はここ最近の中では気候が穏やかなほうで、極端に寒くも暑くもなかったのだが、空にはどんよりと雲がかかっていた。
「なんか、いろいろ考えちゃってさ……」
美奈子は呟いた。レイはそれを聞きながら、自分も空を見上げる。
「あたし、ずっとなりたかったアイドルになれたけど、すぐに新しいグループが出てきて、入れ替わっちゃうわけじゃない。それでマネージャーからは、そろそろアイドル以外の仕事も考えようって言われてたんだよね……。その矢先にこんなことになっちゃってさ。
あたし、何を目指して頑張ってたんだろう、今は何のために頑張ってるんだろうって」
美奈子はそう言ってため息をついた。口に出すと余計にその事実が重く胸にのしかかる。
そう言えばこういった話は、同じアイドルグループのメンバーにも言わなかったし、マネージャーにも言っていない。アルテミスにも。新しいアイドルグループが出てきたり、先のことを考えなくてはいけない事になったりした時、常に美奈子はメンバーを励ましてきたし、マネージャーにも明るく答え続けてきたのだ。
――なんであたし、レイちゃんにこんな話してるんだろうな……。
美奈子がレイの方をちらっと見ると、レイも美奈子に目線を移した。神秘的な光を秘めた瞳に見つめられる。その視線は美奈子にとって、自分の不安を全て受け入れてもらえるような雰囲気に感じた。
「私は……頑張ってる美奈子ちゃん、好きだったよ」
レイが微笑んだ。不意打ちで褒められたので、美奈子は少し照れ臭くなり、また視線を逸らした。
「美奈子ちゃんってずーっとアイドル目指すって言って頑張っててさ。諦めちゃう人がたくさんいるのに、本当になっちゃうなんてすごいじゃない。私は、テレビで美奈子ちゃんが頑張ってるところ見たら、励まされたな」
レイはそこまで言ってから俯いた。
「私は、大学を卒業したらバリバリ働くんだって思ってたの。でも実際は一年働いてすぐに戻ってきちゃって。
もちろん、この神社が好きで守りたかったから、後悔はしてないのよ?
でも、これで正しかったのかな、ってよく思うわ……。特に今みたいな状況の中だと、神の力も無力で、私がやっていることって何なんだろうなって思っちゃう」
神様に仕える者が何を言ってるのかしらね、とレイは苦笑した。美奈子も釣られて苦笑いする。
「レイちゃんでもそんなこと思うんだ」
「当たり前よ」
二人は顔を見合わせて笑った。こうやって笑っていると、あの頃と全く変わらない……レイはそう思った。
「この神社にはレイちゃんがいないとダメだと思うわ」
美奈子にきっぱりと言われ、レイは思わず目を丸くして美奈子を見た。美奈子は真っ直ぐに、しかし優しさを湛えた表情でレイを見ている。
「レイちゃんに会いたくて来ている人がたくさんいるもの。
私はね、神様のこととか祈祷の意味とかなーんもわからないけど、レイちゃんに会いたくて来てるよ。
ほら、中学や高校の時だってそうだったでしょ。みんなでレイちゃんの部屋に入り浸ってじゃない」
「……それは……私の部屋がちょうどよかったから……じゃないかしら?」
レイはさりげなくつっこむが、美奈子はさらりと受け流した。
「えーとまあ、ほら、女五人寄ればやかましい、とかいうじゃない。みんなレイちゃんに会いたくてここに来てたのよ」
「やかましい、じゃなくて、かしましい、よね……。五人じゃなくて三人だし、意味も通じないし……」
相変わらずの美奈子の無茶苦茶な話ぶりにレイは呆れつつ、急に笑いが込み上げてくる。あはははは、と思い切り笑い始めた。
「やだレイちゃんたら。どうしたの?」
美奈子も釣られて笑い出した。二人の笑い声が重なり、誰もいない境内に楽しげに響いていた。
――こんなに笑ったのは久しぶりだわ。
笑いながら、レイはそう思っていた。最近ずっと、日中は暗い話題と参拝客を相手にしていたし、夜は暗い部屋で炎に向かって占いを続けていた。こうやって気の置けない友人とくだらないことで笑うなど、いつぶりだろうか。
目に涙を滲ませながら、レイはまた空を仰いだ。自分に会いたくて来てくれる人がいる。そして元気になってくれる人がいる。こうやって話して笑える仲間がいる。それだけで心がこれほど軽くなるのだ。
美奈子も同様に、目の前に広がる東京の景色を見つめながら考えていた。今まで頑張ってきたことを認めてくれて、応援してくれる人がこんなにも近くにいる。自分が頑張ることで励まされる人がいる。それを確認することができたから、もう少しだけ今のまま頑張ってみようか。次の仕事は……地球が無事だったらまた考える。それでもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、美奈子はうーん、と背筋を伸ばした。
「レイちゃんと話してたら、もうちょっと頑張ろうかなって思ったわ。ありがとう」
美奈子はそう言って、帰ろうかな、と身体を階段の方へ向けた。
「私もよ」
レイが美奈子にすっと手を差し出したので、美奈子は反射的にその手を握る。二人は両手を重ね合わせた。繋がった手を通じて、互いの温もりとパワーが絡み合う。
「絶対に……乗り越えましょう」
レイのその一言に、美奈子も頷いた。二人はしばらくそうして、やがてどちらからともなく離れた。
美奈子は神社に入った時よりも軽い足取りで、階段を降りて行った。