ウラヌスとネプチューンが共に追放されてしばらくしたあと、いよいよ王国に本格的に危機が迫った。日々敵の攻撃に晒され、王宮は半壊滅状態、戦士たちも多くの力を使い、王国に残された力はわずかだった。
「クイーン! ウラヌスとネプチューンを王宮に戻すことはできないのですか」
王室に駆けつけたルナとアルテミスの要請に、クイーンは力なく首を振った。
「ではせめてウラヌスだけでも」
宿命の力を受けたネプチューンは無理でも、ウラヌスだけ戻すことはできないか。そんな思いでルナは言ったが、その問いにもクイーンは力なく首を振った。
「ウラヌスに、今この戦いを切り抜くだけの力はもうないと思います」
ルナはそこで初めて、宿命の力を使った後の戦士は力を失うことを知った。実際に世継ぎが生まれていない今はまだ、多少戦う力は残っているかもしれないが、それでも元の力の半分以下になっているだろう。ネプチューンの中に残る宿命の力が消えるまで、ウラヌスの戦士としての力は失われたままである。クイーンはルナにそう説明した。
「全ては私の責任です」
クイーンは項垂れた。
同盟を結ぼうとしていた地球国と縁を切り、早急に世継ぎを迎える。この方針転換は急なことだった。だからウラヌスにも十分な説明が与えられず、プリンセスも心の準備ができないままに宿命について知らされることになった。
結果として、プリンセスはより一層地球国の王子との関係を深める方向へ走ろうとし、ウラヌスは宿命の力をコントロールできず、誤った使い方をした。
ウラヌスは決して、自分の欲に負けてネプチューンを抱いたわけではない。宿命の力を適切に使うためには、プリンセスと戦士の双方が宿命を受け入れ、慎重に実行する必要があったのだ。
本来であれば、宿命の戦士と王家の者が時間をかけて関係を育み、世継ぎを産み育てることは、幸せで歓迎されることのはずだった。少なくともクイーンは自身の経験からそう思っていたのだ。その準備を怠った結果、二人の心身に影響を与え暴走とも言える状態になった。そのことをクイーンは重く受け止めていた。
「全ての判断が遅く、誤っていたのです。それでも、力の半減したウラヌスや、育っていく命を抱えたネプチューンが敵の攻撃を受けながら王宮で過ごすよりは、遠く離れた天王星、海王星で身の安全を守る方がまだ良いと思いました。…………例えそれが、一つの命の可能性を棄てる選択だとしても」
クイーンはすでに、月の王国の命が長くないことを悟っていた。新たに生まれ、成長するかもしれない命も、王国が絶えれば見殺しにせざるを得ない。それならばいっそ、なかったことにする方が、ネプチューンにとっても生まれるかもしれない命にとっても良いと、クイーンは判断したのだ。自ら世継ぎを産み育てた経験があったからこそ、ネプチューンに辛い思いをさせたくないという思いからだった。
「プリンセスには、本当に想う相手と結ばれて欲しかった。……ウラヌスやネプチューン、そして他の戦士たちも」
ルナはクイーンの言葉に、言葉なくうつむき、涙を流した。
プリンセスの恋を後押しすることができず、無理に宿命を受け入れさせようとしたこと。
ウラヌスとネプチューンを傷つけ、王国から追放したこと。
歓迎し、温かく迎え入れるはずだった命から目を背けること。
その全てが、クイーンの望むものではなかった。ひとつひとつが、苦しい決断となった。それでも王国を守るために必死だった。
その王国の命も、あとわずかだ――。
クイーンは自らの最後の言葉を叶えるため、残り全ての力を使ってプリンセスと戦士たちを地球人として転生させた。その際戦士たちの記憶は、必要な箇所だけを残して消された。宿命に関するウラヌスとネプチューンの記憶は、愛し合い繋がった幸せな瞬間以外は極力思い出すことがないよう、クイーンの力で封じ込められていた。
「クイーンは、もう宿命の力なんて望んでいない。現世でうさぎちゃんが好きな人と結ばれることが望みなの。…………もちろん、はるかさんとみちるさんも」
話し終えたルナは、潤んだ瞳を三人に向けた。衛、はるか、みちるはそれぞれ、神妙な面持ちで頷いた。
「いずれにせよ、現世で宿命の力を使っても、月の王国の守護がないから新たな命が育まれることはないの。だからはるかさんに宿命が巡ってきても、その力を使うことはできない。だから」
ルナは境内からぴょんと飛び降り、はるかとみちるの前に立った。二人は再びルナを見下ろす形となる。
「はるかさんの身体を、銀水晶の力で元に戻すことを提案するわ。どうかしら」
ルナの提案に、はるかは逡巡した。
急な変化に戸惑い、自分のものとは思えなかった身体。昨日時点であれば、即提案を受け入れただろう。
しかしみちるに受け入れられ、前世でも同様に繋がったことを思い出した今、この身体にも意味があり、自分にとっては大事な存在だと少しは思えるようになった。遠い記憶、思い出の一つと考えることもできるかもしれない。もちろん、完全に慣れ、受け入れることができたとは言えないが、昨日よりは前向きに捉えられるようになったと言っていいだろう。
しかし――。
時間にすればその思考時間はほんの二秒足らず。はるかはルナに答えた。
「ああ。戻してくれ」
その後、学校帰りに火川神社に現れたうさぎの手により、はるかの身体は元に戻された。もう当分会うことはないだろうと思っていながらの思いがけない再会ではあったが、うさぎの持ち前の明るさと人を受け入れる心が、四人の再会を和やかにしたように感じられた。
「でも、なんでまもちゃんもここにいたの?」
宿命について、月の王国時代の名残の力であること、そのためにはるかの身体に変化が起きてしまうという大まかな内容しかうさぎには伝えられておらず、前世での記憶も曖昧だった。そのため異色の組み合わせで集まったメンバーに疑問を抱いたようだ。
「中学生のうさぎちゃんを交えて話すには、ちょーっと重い話だったのよね」
ルナが意味深に呟いたことで、うさぎはルナと衛に詰め寄った。
「えっ、何それ! ルナ、まもちゃん、後でちゃんと説明してよね」
「はいはい。高校生になったらね」
「えーっ」
いつも通りのやりとり。きっとクイーンが望んだのは、こういった平和な光景なのだろう。はるかとみちるは自然に顔を見合わせて微笑んでから、そっとその場を立ち去ろうとした。
「はるかさん、みちるさん」
背を向けた二人に気づいたうさぎが、呼び止めた。
「また、遊びにきてくださいね」
屈託のない笑顔で微笑む、二人にとってのプリンセス。会うことが出来て良かったと、はるかは密かに思った。
「ああ、それまで二人仲良くな」
「お元気で」
二人と一匹に見送られ、はるかとみちるは十番街を後にした。
「でも、よかったの?」
はるかの運転で帰宅する途中、助手席からみちるは尋ねた。何に対しての質問か、はっきり示さなくてもはるかには伝わっている。
「みちるは、僕があの身体のままのほうがよかった?」
みちるの問いに、はるかはあえてそう返した。みちるはふふっ、と柔らかい笑みを浮かべる。
「わたしははるかがはるかなら、なんでもよくってよ」
はるかは言葉なくみちるに視線を投げて応えてから、また前を向いた。
きっとみちるは、はるかが元に戻らなくても、これまで通り受け入れただろう。前世で愛し合った事実のある身体で、再び現世を二人で歩む選択もできたかもしれない。はるかの生活スタイルを考えれば、あの身体の方が都合が良いと思えることも多くあるだろう。
しかし、クイーンが存続を望まなかった力を生かし続けるほどの理由は思いつかなかった。
そして何より、現世でみちるが愛し受け入れたのは、天王はるかでありウラヌスではない。そう考えた時にはるかは、自分が自分らしいと思える選択をしたいと思った。
自分のために。そして、みちるのために。
「僕はずっと僕だよ」
独り言のように呟いた声が、みちるに届いていたかはわからない。けれど、はるかの視界の端で、エメラルドグリーンの髪が揺れるのが見えた。はるかに同意を示すかのように。
みちるもまた、はるかが元の身体を選んで良かったと思っていたのだが、その真意がはるか自身に伝わることはないだろう。
自身の髪が風に乗り、二人が元いた街へと残像のように流れるのを、みちるはサイドミラーから眺めていた。
いつまでも、いつまでも。