ずいぶんと日が暮れるのが早くなった。吹き抜ける風が落ち葉を運んできて、僕も思わず首を竦めて、首元の温もりに口元を埋める。
「寒いんだからコートとマフラーくらいしたほうがいいわよ」
そうみちるに言われて、この冬は僕もコートとマフラーを身につけるようになった。
元々きちんと制服を着て通学するということには慣れていなかったけれど、みちるの横に並んで歩く手前、中学時代みたいに部活のジャージやラフな格好で歩く、なんてわけにもいかない。無限学園に入学してからは、制服を着るようになった。でも制服に合うようなコートやマフラーは持っていなかった。
秋の終わり頃になってもしばらくブレザーで登校していた僕を見兼ねて、ついにみちるが僕にコートとマフラーを勧めてくれたのだ。
みちるに見繕ってもらったマフラーとコートは、彼女自身がつけているものと同じブランドの色違いで、上品な手触りと落ち着いたカラーが優しく、とても着心地が良かった。
その日も僕たちはおそろいのコートとマフラーを身に着け、十番街を歩いていた。完全にペアルックに見えるのだろうが、手を繋いで歩くわけでもない、そんな僕たちを周りはどう見るのだろう。
そんなことが頭をよぎったが、みちるが真剣に次の敵のターゲットの話をしているので、慌てて頭を切り替える。
「はるかはどう思う?」
「んー……そうだな」
聞いていなかった、とは言えないので、なんとなくみちるに合わせて答えてしまおうか。そう思っていたら、みちるが足を止めた。
「どうした?」
彼女の視線の先には、化粧品店があった。クリスマスを控えてカラフルな飾り付けが施され、キラキラとした電飾が光っている。
みちるはその化粧品店に視線を奪われているから、そのまま横顔を内緒で見つめていた。化粧をほとんど施していないけれど、白く艷やかな肌に通った鼻筋、そしてその上を長いまつ毛が上下する。外気が冷たいせいか、鼻先が少しだけ赤いのが可愛らしい。
「あ、ごめんなさい」
みちるは急に我に返って僕の方を向いた。おかげで、こっそりと横顔を覗いていたつもりだったのに、いきなり視線がぶつかってしまう。
「あ……うん」
動揺して、あからさまに視線を反らしてしまった。たぶんごまかしきれていないと思うけど、慌ててみちるが見ていたお店を指差して聞く。
「寄ってく?」
「いいの?」
みちるが意外、といった顔で聞き返す。
「いいもなにも。みちるが行きたいところだったら僕はいつでも付き合うよ」
さあ、と僕はみちるを促した。みちるは照れたような、でも嬉しそうな、そんな顔になった。
「じゃあ、ちょっとだけ」
店に入ると、そこには僕たちと同年代くらいの女子生徒が数名いて、きゃっきゃと楽しそうに盛り上がりながら化粧品を見ているところだった。店内は嗅ぎ慣れない独特な匂いと雰囲気に包まれている。
「みちる……こんなところで良かったの?」
「どういう意味?」
「いや……だってさ。行きつけのお店とかあるんだろ?」
今いる店は安価な量販店で、どう考えても普段みちるが入るような店ではない。いくら高校生とは言え、みちるはそれなりに名のしれた化粧品を使っているはずだ。
僕の問いに、みちるはふふっ、と笑って返す。
「こういうところだからいいのよ」
言われた意味がよくわからなかったので、僕は黙ってみちるの化粧品選びに付き合うことにした。
カラフルなアイシャドウやリップが並ぶ棚から、みちるは楽しそうに商品を選び、肌に近づけて見たり、テスターを手に乗せて色を確認してみたりしはじめた。僕には楽しそうなみちるの気持ちはわからなかったので、一歩引いて見ているだけだった。
「ねえはるか。この色、この前私が着ていたピンク色のワンピースに合うと思わない?」
みちるは紫がかったアイシャドウを手に、はるかに尋ねる。
「……えっと。そうだな。合うんじゃないかな」
着ている服装との組み合わせなど考えたことがなかった。そもそもみちるならどの色を使っても似合うだろうと思ったので、これ以外に返事のしようもない。
みちるは僕の返事に不満だったようで、
「もう。ちゃんと見てほしいのに」
と呆れたような顔になるが、特に不機嫌そうな様子ではない。また棚に向き直って楽しげに違う商品を眺め始めた。
――あれ。みちるっていつもこんな顔してたっけ。
ふと、みちるの横顔を見ていて思った。
僕が知っているみちるは……ヴァイオリンを弾いているときの真剣な顔、学校内での澄ました顔、ドライブしているときのちょっと緊張した顔、そしてセーラーネプチューンの時の顔……。
でも、今のみちるは……なんだろう。とっても女の子らしい顔をしている。年相応の女の子の顔だ。
もちろん、みちるはいつだって可愛いし、歩けば皆が振り向く美人だと思っている。落ち着いて神秘的で、同世代には絶対醸し出すことのできないオーラを纏っている。
だけど、こうやって何かにはしゃいだり楽しそうにするみちるを見ると……今まで誰も見たことのない、誰にも見せたことのないみちるを見てしまった気がする。
――なんだか、今日のみちるは、すごく可愛い。
それに気づいたところで、みちるがもう一度化粧品を手にとってこちらを向く。僕は思わずどきりとした。
「じゃあ……これ」
手にはピンク色のキラキラしたグロス。中にとろりとした液体と、キラキラしたラメが動くのが見える。
「そうだな……」
僕が答えようとしたら、みちるは待って、と人差し指をぴっと立てた。
そしてその指は、ゆっくりと僕に近づき、唇にそっと当てられる。
スローモーションのようなその動きに、僕は思わずみちるの指を目で追っていた。
「聞き方を変えるわ」
みちるは手にしたグロスのテスターを手の甲に乗せ、それから中指でちょんちょん、と自分の唇に乗せる。みちるの唇はうっすらとピンクに染まり、艶々になった。
その艷やかな唇から、みちるはもう一度質問を繰り出す。
「例えば、これでデートに行ったら……キス、したくなるかしら」
試すような顔。
この顔のみちるも、僕は今日初めてみた。
――今日のみちるは、ずるい。
「……僕だったら」
――そんな聞き方されたら、それ以外に答えようがないだろう?
僕の回答に満足したのか、みちるはにっこり笑って
「買うわ」
と言った。
一般的な高校生のお小遣いでも十分買えるであろうそのグロスを買って、みちるは嬉しそうに店を出た。
みちるが小銭を出して買い物をしている姿など、久しく見ていなかったと思う。僕が出しても良かったのだが、みちるはさっさと自分で会計を済ませてしまった。
「本当に良かったの?」
もう一度、店に入った時と同じようにみちるに聞く。みちるは買ったグロスを鞄にしまった。
みちるはまだグロスが輝く唇でいたずらっぽく微笑んだ。
「……バカね。
こういうのは、デートで相手がどう思うかなって考えながら一緒に選ぶのが楽しいのよ?」
「……えっ」
「さ、いきましょう」
僕に何か答えさせる暇も与えず、みちるは僕の左腕に自分の右腕を絡める。
――本当に、今日のみちるはずるいよ。
マフラー越しに染まるみちるの頬を見ながら、僕はみちるに左腕を預けた。