放課後にやってきた、みちるの部屋。
高校生にしてはどう考えても広めの部屋に並ぶ、上品な家具たち。どことなく優しい香りが部屋中に漂っているが、それと混じって油絵具の匂いもほのかに混ざっていた。家具だけでなく画材やイーゼルを置くスペースも十分に確保されているし、当然、それとは別にヴァイオリンを練習するための場所もある。
出された菓子やお茶も高級店のもので、持ってきたのは住み込みのお手伝いさんだった。
みちるの家がいかに名家なのかを、来てから十分も経たないうちに数々のシーンで思い知らされる。
そうは言っても、自分だってそれなりの名家ではあるから、いちいち驚くことはない。それに、みちるの家を訪れたのは今日でもう三回目だ。
ただ、なんだろう。何回来てもちょっと落ち着かない。その理由を少し考えてみて、そもそも僕は同年代の友人の家に招かれるという経験をほとんどしたことがないことに気づいたのだった。
そわそわと落ち着かない気持ちを誤魔化すように、勧められるがままにテーブルに着いて目を伏せていると、みちるがこちらのテーブルに着く前にサイドテーブルに置かれた何かをさっと手に取り、勉強机の方へ持っていくのが目に入った。
上品な装丁のされた、本にしてはかなり薄めでサイズの大きめのもの……あれは写真、だろうか。
「ねえ、みちる」
背を向けているみちるに声をかけた。
「記念写真か何か? 良かったら見せてよ」
特に深い意味はなく、このそわそわした気持ちを紛らわすために声をかけただけ――のつもりだった。
だけどみちるは返事をせず、こちらを振り向くこともなかった。
「みちる?」
不思議に思って声をかけると、みちるが振り返った。ぎこちない笑みを浮かべている。
「……そういうのじゃ、ないの。ごめんなさい」
僕は緩めていた自分の頬が元に戻り、顔が強ばっていくのを感じながら、みちるを見つめた。明らかに、いつものみちると様子が違う。
思わず立ち上がった。それほど勢いよく立ち上がったつもりはなかったが、みちるがびくっと身体を震わせ、後ろ手で写真を机の奥へ押しやろうとする。どう考えても、それを隠そうとするかのように。
僕はどういう表情をしたらいいのか分からなくて、ヘラヘラと笑ってしまった。他人の部屋に上がり込んだ身で部屋主が隠したがっているものを暴こうとするなんて、お行儀が悪いことは百も承知だったが、気づいてしまったからには見過ごすこともできなかった。
「なんだよ。見られちゃまずいの?」
僕の問いかけに、みちるは目を伏せ、俯いた。それから観念したようにため息と共に呟く。
「お見合いよ。全く、まだ高校生になったばかりだというのに困ったわ」
みちるの言葉に、僕は思わず硬直した。
――お見合い?
予想もしていなかった言葉だった。
――みちるが、お見合い?
一瞬で頭が真っ白になり、言葉を失った。
「なんだよ……それ……」
それだけ言って、僕はまた椅子に座り込む。重力に任せて体重を預けたら、どす、と不恰好な音がした。
「親戚が勝手に持ってくるだけよ。父や母は無理に勧めようとはしないわ。ただ……一応、高校生になったから」
みちるは勉強机に置いた写真をチラリと見て、またため息をついた。僕は全然納得していないのに、なるほど、と呟いた。来年には法律上結婚できる年齢になるから、お節介を焼く親戚でもいるのだろう。
海王家ほどの家柄であれば、親族に決められたり勧められたりして結婚するというのも確かにあり得るのだろう。それを考えたことがないわけではなかった。しかしまさかこれほど早くみちるにそんな話が挙がるだなんて。油断していた自分に無性に腹が立つ。
僕は力なく項垂れた。
「大丈夫よ。お見合いなんて受けるはずがないでしょう。私たちが優先すべきは使命ですもの」
みちるは明るい口調でそう言う。
「……じゃあ、使命がなければお見合いを受けていたのか」
使命、という言葉を出され、反射的に言い返してしまった。みちるは気まずそうに口籠る。
「そういう意味じゃ」
その瞬間、僕は思わず顔を上げて立ち上がり、みちるに近づいた。みちるは驚いたような、そして少し怯えたような、そんな目で僕を見ている。それに気づいて、止めなきゃ、と心の中の僕が叫んでいたのだが、もう遅い。
僕の手はみちるの手首を掴み、ぐいと持ち上げていた。みちるに顔を近づける。みちるは背後の勉強机に押し付けられるような形で、僕に迫られた。吐息がかかりそうなほどの距離感で、みちるの瞳を見つめる。みちるの目は、突然のことに驚き、戸惑うように震えていた。
しばし、見つめ合う形となった。僕はまるで弱き生物を追い詰める猛禽類にでもなった気分だった。そう思うほどにみちるは僕を見て、怯えたような瞳をして震えているのだ。申し訳ないという気持ちは心の片隅に合ったけれど、その瞳を見ていたら、手首を掴んでいた手につい力が入ってしまう。
「はるか……痛い……」
みちるが小さく呟く。ごめん、と小さく謝り少しだけ力を緩めるが、掴んだ手は離せなかった。僕はもう一方の手を自分の額に当て、くしゃりと前髪を掻いて掴む。
「使命……かよ」
僕は呟いた。それしか言えなかった。
僕とみちるを繋ぎ止めているのは、使命。所詮それだけなのだ。使命がなければみちるは普通の――というには家柄や才能が特異ではあったが――女子高生で、それなりの年齢で恋愛や結婚もする可能性がある。使命がなければ、そもそも僕たちは出会っていなかったかもしれないし、横を並んで歩くなどということもなかったかもしれない。
気づいていなかったわけではない。ただ、気づかないふりをしていただけだ。まさかこんなところで改めて気づかされるとは思わなかったけれど。
「僕は」
発せられた言葉は、やや強めの語気となり吐き出された。
「僕は君への気持ちを抑えることができなくて、必死な思いでいるというのに」
そうだ。僕は明らかにみちるのことを意識している。戦士として、だけではなく、一人の大切な女性として。
先ほどこの部屋に入った時にそわそわと落ち着かない気持ちになってしまった本当の理由に、いま気がついた。
僕はみちるを意識している。特別な目で見ている。手で触れ、抱きしめて、僕のものにしたいという思いを持っている。外にいる時はまだいい。外にいい顔をして振る舞っていれば気が紛れるから。
だけど、みちるの生活を感じられるこの部屋に二人きりになると、だめだ。頭の中はみちるでいっぱいになってしまう。
その真意――僕がみちるをどういう目線で見ているか――はみちるには知られていないし、黙っていれば到底気づかれることはないはずだ。なぜなら僕は――。
――そう。僕にはまだ、みちるに言っていない秘密がある。
「はるか……?」
みちるが震える声で僕の名を呼んだので、顔を上げた。みちるの表情は、今は怯えというよりは、少し驚いたような表情に変化していた。
「それは、どういう意味……?」
みちるに聞かれ、僕は再び目を逸らす。
今日はこんな話をするためにここに来たわけではない。新たな敵の次のターゲットについて、情報を整理するつもりだったのだ。
怖がらせるつもりはなかった……ごめんねみちる。
こんな状態で冷静に敵の話などできる気がしない。そして例え今日をうまくやり過ごせたとしても、このままみちると一緒に居続けることも、できないと思った。僕は……どうにかなってしまいそうだ。
僕は顔を上げ、みちるの瞳を見つめて、言った。
「みちるが他の男と結婚するなんて……嫌だ」
みちるが目を見開く。蒼い瞳が震えて、まるで中で波がさざめいているようだった。みちるは僕から目を逸らさなかった。頬が少しずつ赤みを増し、染まっていく様子が見えた。
「でも……私たち……」
みちるはそう呟いた。それから、視線を泳がせる。まるでなんと言ったらいいか迷っているかのように。
みちるの表情から、なんとなく言わんとするところはわかった。心臓がぎゅっと掴まれるように痛み、それから頭に上っていた血がさーっと引いていくような感覚がした。
――そう、だよな。
僕は力なくみちるの腕を下ろした。
みちるは、とても悲しげな表情に変化していた。僕自身も、するすると眉尻が下がってしまうのを感じていた。
僕の頭の中では、みちるが以前僕に言った言葉が響いていた。
――女の子のくせに、あなたの車で海岸をドライブしてみたいんですって。
僕たちなら超えられるんじゃないか。もしかしたら、そんな驕りを持っていたのかもしれない。そしてそれをみちるにも期待してしまっていたのかもしれない。
ただ、それも僕の独りよがりだった、ということだ。
「僕が男ならよかったのか」
僕は再びみちるに詰め寄った。みちるの表情を見ていたら、一度冷めた熱が再び湧き上がってきてしまうような気がした。頭がかっと熱くなり、堪らずみちるの肩を乱暴に掴む。みちるがびくっと身体を震わせる。
「ちが……そういうわけじゃ」
「僕は、これ以上自分の気持ちに嘘はつけない」
僕はみちるを勉強机から引き離し、向きを変えて背後のベッドに向けて押し倒した。なるべく強く倒さないようにしたが、みちるはベッドに倒れ込む瞬間に、驚いたように一瞬きゅっと目を瞑る。それから目を開けた。目を見開いて、口元を両手で押さえている。
みちるの部屋は、年相応の女の子らしい部屋というよりは、シンプルであまり飾り気のない家具が多かったが、ベッドも同じだった。やや広めでしっかりとした厚みと高級感があり、女子高校生が使うベッドと言うよりは、少しグレードの高いビジネスホテルにあるようなベッドに近い。僕は地方のレースに出向いた際に泊まったホテルを想像しながら、そんなことを思った。
先程まで少しの乱れもなく綺麗に張られていたシーツは、みちるが学校に行っている間に整えられたものなのだろう。今は僕とみちるを受け止め、大きな凹みとさざ波のような皺を寄せていた。
静かな部屋に、みちるの緊張したような震えた息遣いが響く。
きっとこの家はいつも静かで澄んだ空気が流れていて、みちるはそんな空気の中で絵を描き、ヴァイオリンを弾くのだろう。
僕はその空気を澱ませ、汚してしまった。重い空気を二人の間に感じる。
「僕の本当の姿を見せてあげるよ」
僕はみちるの手をそっと取った。みちるはされるがまま、戸惑った表情で手を取られる。
僕は一瞬躊躇い、みちるの手を握ったまま動きを止めた。
一点の穢れもないみちるにこれからさせようとしていること――それを思って、胸がズキっとする。
こんなことをさせていいのだろうか。もし拒絶されたら、僕たちはもう共に使命を果たすことはできなくなるのではないか――逡巡したが、迷ったところですでに遅い気もしていた。それに、今後みちると共に使命を果たすつもりなのであれば、いずれにしても僕はこのままではいられないだろう。
僕が抱えているものを手っ取り早く説明し、わかってもらうには、この方法が一番だ。そう思い、僕は決心した。
僕はみちるの上にまたがるように膝立ちして、みちるを見下ろした。それから彼女の手をそっと引き、その手の甲に口付けをする。
「はる……」
突然のことに驚いたように、みちるが呟く。空いたほうの手で口元を押さえた。
僕はそのまま、みちるの手を僕の下腹部で主張する膨らみに当てがった。みちるはわけがわからないまま僕に従ってそこに触れた後、はっとした顔になり、息を呑む。そして僕を見上げた。
「これが僕の本当の姿だ」
僕は呟いた。
「ごめん、みちる。僕はずっと君に隠し事をしていた」
僕は何かを飲み込むようにぐっと黙ってから、それを大きなため息として吐き出した。
これを口にすることは、やはり勇気がいる。
「僕はどちらでもあるし、どちらでもない」
みちるは動揺した様子で瞳を震わせ、僕のことを見ていた。僕はみちるの手を取ったままだったが、もうほとんどそこに力は入れていない。だけど、みちるの手は最初に導かれた時のまま、おとなしくそこにい続けた。
「そんな……」
みちるが呟いた。なんと言ったらいいか、と言った顔をしている。
僕はみちるの手を自分のものから外し、そっと下ろした。そしてもう一度大きくため息をつく。みちるは呆然と僕を見つめていた。その視線が刺さるようで、痛い。
「いっそどちらかはっきりしていれば、諦めもついたのかもな」
吐き捨てるように言って、僕は口を歪めた。みちるは目を丸くしたままだった。
「不完全なんだ」
そう言ってから、僕はそのままの姿勢で目を閉じた。
生まれたときからこうだったわけではない。異変に気がついたのはほんの数年前だ。それから自分なりに考え、受け入れ始めようとしていたところだった。でも、たったの数年でそれを受け入れられるほど、僕もまだ大人ではない。
まさかこんな形で――自分が想う相手を失うかもしれないおそれと同時に、自分の不完全さを思い知らされるなんて。
ふと、自分の下で何かが動く気配を感じた。目を開けると、みちるが両手を伸ばしている。
「みちる……」
名前を呼んでみて、はっとした。
――泣いている。
今度は僕が驚く番だった。思わず目を見開き、みちるの表情に釘付けになる。みちるは何かを噛み締めるかのように唇を歪め、眉尻を下げていた。
美しい……こんなにも切なく悲しいのに、何故か最初にその言葉が浮かんでしまう。
どれほど悲痛な想いを抱いている時であっても、表情を美しく変えてしまう力がみちるにはあるのだな、と場違いな感想が僕の頭に浮かんでしまった。
僕がぼんやりと見つめている間も、みちるは何かを訴えかけるように手を伸ばし続けていた。僕はゆっくりと身体を屈めて、みちるの顔の横に手をついた。みちるの手は僕の両頬を迎え入れ、すっぽりと包み込む。
至近距離に迫った瞳の奥を覗いた。まるで深海の底を見つめているみたいだ。深く、美しく、静かで、誰もそこに立ち入ったことはないだろうと思わせる。誰も知らない海だ――。
「はるかは、はるかよ」
僕が吸い込まれるように海の底を見つめていると、みちるがゆっくりと、震える声でそう言った。僕はその間にも、海からぽろぽろと涙がこぼれ落ちるのを眺めていた。
僕は右手を持ち上げて、その涙を掬いとる。人差し指を涙がつるりと滑っていった。掬いとっても掬いとっても、次から次へと涙が溢れ、僕の指を伝って落ちていく。
みちるの頬に、ぽつりと水滴が落ちた。一粒、二粒。まるで降り始めの雨のようなその水滴に、あれ? と思っていると、みちるが僕の頬の上で親指を滑らせ、目の縁を撫でた。
――ああ、そうか。これは僕の……。
自分でも気づかなかった。自覚した瞬間、妙に悲しくなり、柄にもなくもう二粒三粒ほどの涙を落としてしまう。
「そうだ。僕は僕だ」
長い沈黙から覚めて、僕はようやくそう口にした。
「だけど、君と使命以外の繋がりもなければ、結婚することもできない」
僕の言葉に、みちるが顔を歪めて、首を大きく振る。
「そんなこと」
首を振った動きで、みちるの目のくぼみに溜まっていた涙が左右に揺り動かされた。目尻の涙は下に流れ、彼女のエメラルドグリーンの髪へ落ちていく。
「使命だけ、なんて言わないで」
絞り出すような声でみちるが言った。
「私ははるかが好きよ」
その言葉に、僕はまた静止した。明らかに顔が熱く火照り、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「みちる、わかって言ってるのか」
僕は慌てて身を引こうとしたが、頬に添えられた手を振り払うわけにもいかず、目線だけ泳がせる。
泳いだ目線の先に、みちるが目を見開きこちらを見つめているのが見えた。
「……え?」
「言ったろ。僕は君を特別な目で見ている。身体だって反応する。みちるにそんなことを言われたら、僕はもう止められない」
僕の言葉に、みちるの頬はますます染まり、瞳が潤んでいくように見えた。しかし、それにも関わらず、彼女は僕から視線を逸らすことはない。その視線には、ある種の覚悟も含まれているようにすら感じられた。
静かな空気を破るように、みちるがこくりと頷き、言った。
「いいわ」
僕の頭の中で、何かが弾けそうになった。衝動的に動きたくなるのを必死で抑えて、僕もみちるの頬に右手を伸ばす。見た目以上に艶やかな頬に触れ、心臓の鼓動が一気に加速するのを感じた。顔を近づけると、みちるの優しい香りが鼻先まで近づいてきた。
僕はいてもたってもいられなくなり、ついにみちるに唇を押し付けた。頬に添えていた手をみちるの背中に回し、身体を密着させて強く抱きしめる。背中を掻くように手を滑らせた。
最初はその唇の柔らかさに、頭が熱く白くなって飛んでしまいそうな感覚を覚えた。唇を舌でなぞり、無我夢中でその隙間に舌を差し込んでみる。
温かい……僕は目を瞑りながらも、頭の中ではみちるの唇の色を思い出していた。うっすらと染まるピンク色に、特段化粧を施さなくても艶を持った、柔らかな膨らみ。今それが僕の目には見えていないのに、舌と唇から伝わる感触と、頭の中に浮かぶ記憶だけで、僕はとてつもない興奮を覚えた。
先ほどみちるに触れられた僕のものが熱くなっている。僕はそれをわかっていながら、自分の身体をみちるに強く押し付けてしまう。口内ではみちるの舌をなぞり、柔らかな感触を味わっていた。
「んっ……あっ」
みちるの口から苦しそうな息が漏れ、慌てて口を離す。みちるは息を思い切り吸い込んでから目を開け、こちらを見た。潤んだ瞳は明らかに動揺の色を浮かべている。
「はるか……」
「ごめん、いきなり」
急に自分のしでかしてしまったことの大きさに気づき、急に背中が冷えるような思いがした。いくらみちるに「いい」と言われたからと言っても、もっと段階を踏むべきだったのではないか。そもそもみちるが「いい」と言ったのも、みちるがどこまで考えてそう言ったのか……お嬢様であり、言い方は悪いが世間知らずでもあるみちるのことを、僕はすっかり考えていなかった。
僕は二人の間にあった壁を一方的に壊し、大きく飛び越える行為をしてしまった。そう感じて、急に焦り始める。
「あ……あの、そうじゃないの」
予想に反して、みちるは首を振って否定した。そして俯く。
「嫌とかじゃ、なくて。むしろ……どうしよう、私……」
みちるが顔を真っ赤にしながら、必死で言葉を選ぼうとしている様子を見ていたら、一度引きかけた熱い感情が再び戻ってくるような気がした。
こんなみちるを見るのは、初めてだと思う。いつも優雅で上品で、焦る様子など見せない。そのみちるが、僕の前で恥ずかしそうに頬を染めて、僕に向ける言葉を一生懸命に選んでくれようとしている。
僕はもう一度、みちるに自分の身を寄せて、抱いた。お互いの身体が、熱い。僕の心臓の音が伝わってしまっているのではないかと思うほどに、大きな音を立ててなっている。ぎゅっと力を込めると、みちるの腕も僕の背中に回るのを感じた。みちるの腰から背中の、細く美しいラインを指でなぞる。
「だめだ。もう……」
戻るなら今だ。もうすでに、ギリギリのところにいるけれど。みちるが望まなければ、まだどうにか、戻れると思う。
そう思っていたのに、みちるは僕の背中をぎゅっと抱きしめ、黙って僕の胸元に顔を押し付けるだけで何も言わなかった。僕を離すことも、拒否する言葉を告げることもなく。
――みちるは僕を受け入れようとしている。
「いいんだな……」
僕は今度はみちるの返事を待たず、抱きしめた腕を緩めた。そして顔を上げたみちるにもう一度、吸い込まれるように唇を合わせる。
今度は先ほどよりも少しだけ、落ち着いてゆっくりとしたキスを交わす。啄むような唇を触れ合わせるキスをしてから、角度をつけて密着させる。湿り気を帯びた唇を触れ合わせ、なぞるように動かしたあと、舌でその隙間を開けてみた。
みちるの舌は、訪ねてきた僕のそれを受け入れるように繋がった。最初のキスの時は、暴れ回る僕に戸惑っていたようだったけれど、今は滑らかに迎え入れるような動きをしている。舌の柔らかさが動きと相まって、蕩けるような感覚に感じられた。
キスを交わしながら、真新しく張りのある制服の上から、みちるの身体のラインをなでつけるように手を滑らせる。なぞった指がわずかに下着の引っ掛かりを見つけた。それからさらに下に滑らせた手を、制服の裾から中に忍ばせる。みちるの身体が少しだけ強ばり、背中に回されたみちるの手に力が入るのを感じた。
よりによって、みちるの部屋で。「同級生の女友達」として海王家に上がりこんでいる自分がこれからしでかそうとしていること――だめだとわかってはいたけれど、そのことが逆に僕の興奮を昂めていることもまた事実だった。
一瞬躊躇って手を止め、ずっと繋がっていた口をゆっくりと離してみる。みちるの蕩けたような視線とがぶつかった。上気した頬と、熱を持って吐き出される息を感じる。
「……はるか」
これから起ころうとすることに対する緊張だろうか。顔を強ばらせ、わずかに震えているようにも見える。
それを見ていたら、僕の中で二つの感情が戦い始めた。一つは、これ以上怖がらせるな、落ち着けと宥める自分。もう一つは、みちるを思うままに乱し、ぐちゃぐちゃにしてしまえと追い立てる自分。
深呼吸をした。
「……怖い?」
どうにかして、僕は冷静な方の自分を勝たせた。みちるは僕から目を逸らさずに、ぎこちなく首を振る。
「そうじゃ、ないけど」
普段の優雅な声からは想像もつかないほど、か細く弱い声がみちるから発せられた。
「でもなんだか、信じられなくて」
囁くように、みちるは続ける。僕はみちるの上に覆い被さるように覗き込みながら、みちるの言葉を待った。
「ずっと、おかしいと思っていたの」
みちるがぽそりと呟いた。
「はるかのことじゃなくて。私のことよ。はるかを見ているとドキドキして、それで」
頬を染めながら、みちるは一瞬目を泳がせるように逸らし、そしてまた僕に戻る。
「そんなこと、ダメだと思っていたの。でも、まさか」
みちるはどういったらいいか、言葉を選び、迷っているようだった。口を開きかけて閉じ、そしてようやく言葉を発する。
「だけど、いま、嬉しい……」
みちるが必死に言葉を紡いで伝えてくれたことに、なんとも言えない感情が湧き上がってきた。心臓がぎゅっと掴まれるように鳴り、みちるを直視していられなくなった。僕はそのままみちるを抱きしめるように上に重なる。首元に顔を埋めてみたら、みちるの髪の香りが鼻をくすぐった。
「不完全……だ。僕は」
みちるの耳許で、先程も言った言葉を呟く。みちるは黙って、僕の背中に回した腕に力を込める。
「でも、僕のことを、見て欲しい」
僕に寄せられたみちるの頭が、ゆっくりと下に動くのを感じた。
顔を上げると、みちるの潤んだ瞳と目が合った。先ほど僕が事実を告げた時と同じ、覚悟も含まれたような視線。
僕は一度みちるから身体を離し、ベッドに寝かせたままのみちるを跨いだ状態で、自らの制服のシャツのボタンを外して脱ぐ。それからみちるの制服のリボンを解いた。前のチャックもゆっくりと下ろし、前面を開放する。みちるは緊張した面持ちでその様子を見ていた。
背中側に手を回して、先ほど制服の上から引っ掛かりを感じた下着のホックを外した。みちるはほんの少し、背中を浮かせてそれを受け入れる。緩んだ下着から、豊かな膨らみが溢れ出した。
「すごく、綺麗だ。みちるの身体……」
思わずそう漏らした。みちるは恥ずかしそうにしながら、はるかも、と呟く。
みちるの額をそっと撫で、そこにキスを落とした。そして、露わにされた胸元に手を伸ばす。なめらかな肌の感触が、僕の手に吸い付いてきた。
みちるが震えるような、声にならない息を漏らした。おそらく「人に触れられる」ということに慣れないせいか。緊張を伴った吐息だ。
「力を抜いて」
僕は優しく声をかけてから、唇を重ねた。触れるように優しく、何度かキスをしながら、僕は胸元の愛撫を続けた。
口付けをしながら優しく触れていると、みちるの身体から少しだけ緊張が解けていった。バストのラインをなぞるよう指を滑らせてから、先端を指で弄ってみる。硬く立ち上がったそこを軽く摘み、指で弾くように何度か突く。繋がっている口元が少し緩み、吐息が漏れた。みちるの呼吸がやや乱れているのがわかる。
唇を離し、今度はそれを胸の飾りに向けた。触れるように唇を落としてから、挟むように摘む。
「……んんっ」
解放されたみちるの口から、吐息と共にわずかな声が溢れた。羞恥からだろうか、みちるが自分の口元を手で抑える。僕は舌を出して先端を舐め、それから先ほどよりも強めに吸った。
「はぅ……」
吸って、舌で転がすように舐めて。空いた方は先ほどと同じように指で弾く。先ほどまでとは異なる刺激に、みちるの息遣いも明らかに変わってきていた。みちるの反応を見てしまうと歯止めがかからなくなってしまいそうで、僕はなるべく目の前のみちるに優しく触れることだけに集中する。
左右それぞれをゆっくりと刺激し、しっとりと濡らされるまで愛おしんでから、僕はようやく顔を上げてみちるの方を見た。みちるがうっすら涙を浮かべ、戸惑ったような目でこちらを見つめていた。
「ごめんなさい、なんか、私……変な感じが、して」
僕に見つめられたみちるが、なぜか弁解するように言う。自分の意思とは異なって走る身体の反応に戸惑っている、とでも言いたいような表情で。
僕は思わず頬を緩めた。
「いいよ。みちる、すごく可愛い」
僕はみちるの腹部のラインを撫で、今度は制服のスカートのチャックを外して脱がせた。中のショーツはすでに大きな染みを作り、意味をなさなくなっている。
それを取り去ろうと手を伸ばして、僕は思わず息を呑んでしまった。上半身はみちるほど立派とは言えないまでも、自分にも似たような形状の胸があり見慣れていたものだったが、これから露わにしようとしているそこは、僕も体験したことのない世界だ――。緊張を抑えながら、僕はゆっくりとショーツに手をかけ、足先に向けて外した。
みちるは抵抗こそしなかったが、脚を内側に閉じてしまった。
「やだ……見ないで」
初めて人前に晒されたであろうそこを露わにされ、恥じるように目を逸らす。僕はみちるに無理をさせない程度に、ゆっくりと両足を左右に開いて、間に入り込んだ。
「大丈夫だ……見せて?」
みちるは腕で自分の顔を隠していたが、僕のことを止めようとはしなかった。ゆっくりと開かれたそこからは、すでに大量の蜜が溢れ出していた。僕は指を伸ばし、すくい取るように触れてみる。ぬるりとした感触が指先に感じられた。
「すごい……濡れてる」
僕は独り言のようにつぶやいて、濡れた指先をみちるの秘部の入り口に滑らせた。
「ひ……あ……っ」
みちるが足を震わせて、か細い声を発した。そのまま何度か指を往復させてみる。ぬるぬるとした熱い液体が絡みついてきて、指から心臓に向かって僕を刺激してきた。身体が熱くなる。
――痛がる、かな。
おそるおそる、中指を浅く挿入した。絡みついた液に促され、僕の指先は難なく入り口に入り込む。ちょうど中指の第一関節あたりまでが、みちるの蜜壺に浸かった。勢いよく中に入り込んでしまわぬよう、入り口付近で慎重に指を動かしてみる。
「んっ……ふっ……あっ」
みちるの反応を見ながら、少しずつ指を深いところに挿れていこうとした。中は狭く、僕の行く手を阻もうとする。僕は中に指を残したまま、みちるに顔を寄せ、囁いた。
「大丈夫、楽に……」
そう言って、みちるに口づけを落とす。舌で優しく唇を撫でたあと、唇の隙間から口内へ潜り込んだ。みちるの口元が緩むのと同時に、脚の力も若干緩むのを感じた。
その隙を見逃さず、僕は指を深く挿入した。んっ、と息を詰まらせるような音が、みちるの口から発せられる。温かく柔らかい内壁が、僕の指を優しく包み込んだ。
指をゆっくりと出し入れしてみる。止めどなく溢れる蜜が、潤滑油のように指の動きを滑らかにしていた。中は相変わらず狭いが、みちるが痛がっている様子はない。触れ合わせるようなキスを繰り返しながら、僕は少しずつ慣れさせるように、中を探っていった。
「あっ、んっ、うん……あっ……ん」
次第にみちるからも、小さな喘ぎが漏れ始めた。徐々に大きくなる水音と共に、静かな部屋に響く。最初は違和感を堪えているような雰囲気だったのに、徐々に流れに身を任せ始めたようにも見えていた。
それに気を良くして、僕はもう一本、指を挿れてみようとした。
「あっ……んんっ」
みちるが一瞬目を見開き、それから顔を歪める。僕は入口に当てがった手をそのままに、慌ててみちるに尋ねた。
「ごめん、痛い?」
みちるは小さく首を振る。
「ううん……大丈夫……」
小さな声でそう言うが、目に薄らと涙を浮かべて口元を歪めるみちるを見ていると、これ以上進んでいいのか躊躇う。
僕は空いた方の手でみちるの額を軽く撫でた。みちるが目を薄く開けて微笑む。続けて、と促すような視線を受け取り、僕は軽く顎を引いて頷いた。
傷つけないよう最大の注意を払って、僕はまたゆっくりと二本の指を中に進めた。最初にそこを訪ねた時と同じように、まずは浅い位置での抜き挿し。それから徐々に深く。指はまたたっぷりの蜜を纏わせながら、ついに根元までをみちるに包み込まれた。
深く、それから浅く、順に繰り返してみながら、内壁を擦るように動かす。変則的にあちこちを突いていると、それに合わせてみちるの声も変化し、そして腰が上下する。
「あんっ……うっ……ん……あっ……ああっ」
それを見ていると、僕自身が刺激を受けているわけではないのに、身体が熱くなってしまう。つい性急に手を動かしてしまいそうになるのをぐっと我慢し、優しく……と心の中で唱えながら愛撫し続けた。
腟内の中ほどを何度か突いていたら、みちるがびくりと腰を動かした箇所があった。
「あっ……ふぁっ……んぁ……そ、こっ……あっ」
そこを擦るように繰り返し動かして見ると、明らかにみちるの声のトーンも高くなり、求めるように僕の背中で手を滑らせてくる。
何度か繰り返してそこを突いていたら、急にみちるが僕にしがみつき、声を詰まらせた。
「あああああっ、だめっ……んんっ」
腰が反り、足を閉じ、僕は間に挟まれる。僕は中に差し込んでいた指に強い圧迫感を感じ、動かすのをやめた。
みちるははあはあと荒い息をして髪を乱したまま、僕にしがみついている。
それは、あまりに突然訪れた絶頂だった。
――あれ、みちる、まさか。
初めてとは思えないみちるの反応を見れたことを喜ばしく思った直後、急に不安に襲われた。おそるおそる、呟く。
「まさかみちる、初めてじゃない、のか……」
「ちがうのっ」
みちるは息を乱したままぶんぶんと首を振り、否定する。それから顔を真っ赤にして、呟く。
「その……」
みちるは躊躇いがちに目を伏せ、どう言おうか迷っている様子だ。
「はるかのことを考えて、私……自分で……」
ようやく、消え入りそうな小さな声でそう言って、みちるは手で顔を覆った。
一瞬考えたのちにその意味に気づき、今度は僕の頬がさっと火照る。もしいま僕達を見比べて見られる人が傍にいたなら、お互いに比較にならないくらいの真っ赤な顔で見つめあっているように見えるかもしれない。
「それって……」
「い、言わないで」
みちるは顔を隠したまま、また強めに首を振った。その姿が愛おしくて、僕は思わず頬を緩めてしまう。
「でも、私、ちょっと、変みたい」
顔を覆う手の下から、少しくぐもった声が聞こえた。何が? と尋ねる。
「想像していたのより、ずっと……」
「ずっと?」
みちるが少しだけ顔を覆う手をずらし、ちらりとこちらを覗く。
「なんだか、おかしくなりそうだった……」
僕は柔らかく微笑み、みちるの手をそっとずらした。その下から、真っ赤な顔をしたみちるの顔が覗く。髪を優しく撫でて、ちゅっ、と軽いキスをした。
「可愛かった」
みちるは煙でも出るのではないかというほどの赤い顔のまま視線だけこちらに向け、小さく首を動かして頷いた。
僕はベルトを外し、スラックスを下ろした。それから下着も順に下ろす。先にみちるに事実を伝えていたとはいえ、初めてそれを人前で見せるから、晒される瞬間は少し緊張した。
意志を持った生き物かのようにそそり立つそれを目の前に出すと、さすがにみちるの表情も少し固くなったように見えた。
「怖い?やめる?」
僕が尋ねると、みちるは僕の顔とそれを見比べるように視線を動かしてから、左右にゆっくりと首を振った。
「痛かったら言って」
僕はそう言って、もう一度みちるの秘部に指を滑らせて、そこが十分に濡れていることを確認した。それから自分のものに手をあてがい、先端を触れさせる。温かくぬめりのあるそこに触れると、先端から一気に喜びが駆け抜けるような気がした。ゆっくりと腰を押し込むように中に進めていく。
さすがに指を挿れた時よりも楽に進めることはできず、やや力を込める。
「んっ、あっ、くるし……」
みちるが涙を零し、目をぎゅっと瞑り、顔を歪めた。僕も、キツく締め付けるそこに入っていこうとするのは容易ではなかった。
「少し、力抜いて」
みちるの耳許で囁き、耳朶を食んでやる。みちるはふるふると身体を震わせ、ため息を漏らした。僅かながら力が抜けたのを見計らって、中へ進む。
「んっ……はぁっ……」
ずぶずぶと沈みこむように中に入りきった。みちるは軽く息を呑み込んだあと、思い切り吐き出す。いっぱいいっぱいなのが見て取れる表情をしていた。僕も締め付けられる感覚が心地よかったのですぐには動き出さず、しばらくみちるの中の温かさを感じながらじっとしていた。
「動くよ……?」
みちるの呼吸が少し落ち着いた様子だったので、僕は軽く声をかけた。みちるは自分の傍に立てられた僕の腕に縋り付くように手を絡め、ぎゅっと握りしめた。
それを返事と取り、僕はゆっくりと身体を動かし始めた。ぐちゅっぐちゅっと水分が混ぜられる音が響く。お互いがお互いのものに慣れるよう、あまり大きな動きをせず、奥の方に挿れたまま、小さい動きを繰り返す。
「んあっ、はっ、んっ、あっ、んっ」
喉の奥から吐き出されるような、重みのある喘ぎがみちるの口から漏れた。みちるから出る蜜のおかげで、僕のそれは滑らかに出入りをする。少しずつ動きを大きくしていき、奥を突く強さも増していく。
「はっ、んっ、やっ、はる、か……ぁっ」
みちるに名を呼ばれ、僕はまっすぐに立てていた肘を曲げ、身体を密着させた。みちるの腕が首に回され、ぐいと引き寄せられる。必死さがそこから伝わり、僕は愛おしさから思わずみちるに唇を押し付けた。
先ほどまでギリギリの所を保っていた冷静さはとうに消え去っていた。僕はみちるに身体を寄せたまま、奥に刺激を加え続ける動きを繰り返した。
「あっ……うっ、だめだ、みちる……」
慣れない僕自身に変化が訪れたのも、やはり突然のことだった。みちるに少し力が入り、締め付けが強まったせいだったかもしれない。突如、何かを突き破るような強い衝動が内側からやってきた。僕は思わず力を込め、その最後に向けて駆け出そうとする。
肌と肌の触れ合う音が強くなり、みちるが涙を零しながら顔を歪めた。
「あっ、はる、んっ、あっ、ああっ、んんっ――」
僕の動きが急に激しくなったことで、みちるは髪を振り乱し、必死に僕にしがみついてきた。耳許で絞られるような声が発せられる。
「うっ、あっ……ああっ……」
僕も掠れた声で最後の一声を発し、最後を迎えた。不完全な僕のそれは、みちるの中で力を尽くし切った。
僕は大きく息をつき、みちるに身体を密着させ、覆い被さるように倒れ込んだ。
それからの僕たちが、それぞれ何か変わったかと言われると、そんなことはなかった。
みちるは相変わらずおせっかいな親戚からの縁談が入ってきてはそれを断るということを繰り返していたし、僕がどちらとも言えない状態で生き続けていくことにも変わりはなかった。
だけど。
僕たちは確実に、使命の先に未来を見るようになった。希望を持つようになった。口に出すと使命に対する思いが揺らぐから言わないけれど、確かにその先には共に歩む道が見えていた。
だから僕は、戦いのたびにみちるにも僕自身にも、毎回言い聞かせ続けた。
「絶対に使命を果たそう」
――その先の未来を、共に生きるために――。