年の瀬も迫った冬の寒い朝。冷たい空気に包まれ、草木も凍るほどに寒々しいが、四人で暮らす外部太陽系戦士達の家は、窓から差し込む明るい日差しと緩く焚かれたストーブ、それから笑いに包まれる四人の団らんのおかげで温かい。
「ねーねー、白い犬と黄色い鳥が出てるよ! あと帽子を被った男の子も! ……あ、女の子も出てきた」
目の前に映るテレビの情報を逐一話すほたるに、みちるとせつなの目尻は下がりっぱなしだった。それは娘に向けるというよりは、もはや孫に向ける視線に近いと言ってもいいかもしれない。
「ほたる。私たちも見てるから、わかるわよ」
「この時期の子どもは、なんでも話して報告したがるものですね」
傍で三人の様子を見ていたはるかも、そうそう、と頷いて会話に参加する。
「昨日一緒に出かけた時も、目に見えるもの全てを僕に報告しなきゃ気が済まないって感じだったな」
そういってほたるの顔を覗き込むはるかの表情は、「天王はるか」ではなく「はるかパパ」だ。普段張り詰めた空気の中でレーサーとして走る彼女のもう一つの顔を、一体誰が想像できるだろうか。
微笑ましく注がれる視線を浴びながら、ほたるははるかの顔を見て、何かを思い出したように口を開いた。
「ねーねー、みちるママ、せつなママ。『カクベツ』ってどういう意味?」
「格別……?」
問われたみちるとせつなは、顔を見合わせた。ほたるは大きく頷く。
「昨日はるかパパとお出かけした時に、パフェを食べたの。その時にはるかパパが『寒い日に食べる甘いものはカクベツだな』って」
その発言に、聞いていた三人が驚きの表情を浮かべた。と言っても、それぞれが心中で抱く気持ちはバラバラだ。
はるかは、まさかそんなに細かい発言まで覚えているとは、という意味で。
みちるは、帰宅が予定より遅かったはるかとほたるがこっそり寄り道していたことに対して。
せつなは、帰宅後の食事に影響が出ることも考えずにはるかがほたるに間食を与えていたことに対して。
そうとも知らずにほたるは、はるかの方を見ながらにこにこと話す。
「あと、パフェのあとにコーヒーを飲んでたときは『可愛い子が淹れてくれるコーヒーもカクベツだ』って言ってたよねー」
「お、おいほたる」
はるかの表情は驚きののちに気まずそうなものに変化し、みちるとせつなの表情は、どこか硬くなる。和やかで暖かかったリビングが、ほたるを除く三人の周りだけ、急に三度ほど気温が下がったように感じた。
「そんな目で見るなよ、ふたりとも」
「あら、どんな目?」
みちるの冷ややかな視線と声に、はるかは思わず肩を竦めた。
「熱々のコーヒーも一気に冷めそう、って感じの目」
「それくらい冷ました方が、頭が冷えてちょうどいいかもしれなくてよ」
含みのある笑顔でにっこりと笑うみちるに、はるかは返す言葉なく「まあ……そうかもね」と言うに留める。
せつなも、みちるとは違う角度ではるかに苦言を呈した。
「パフェはいいですが、もう少しお夕飯のことも考えて与えてくださいね。それに、ほたるの前では軟派なセリフもほどほどに」
「はいはい。……すっかり『ママ』だな、せつなは」
あまり反省の色が見えないはるかに、せつなはため息をついた。
「当たり前です。大切にお預かりしている子なんですから」
三人のやり取りを、わかっているのかいないのか、ほたるはにこにこと楽しそうに眺めていた。同じくらいの年頃の子どもよりはるかに賢く、多くの言葉を知っていてよく喋る子どもだが、場の状況に構わず発言する姿は年相応だ。わからずに言っているから可愛いものだと笑って許せるけれど、実はわざと自分を困らせようとしてはいないだろうか――はるかがそう邪推した矢先、ほたるはさらにはるかを驚かせる発言をする。
「あとさ、お買い物の時も、可愛いおねえさんのお店に入ったよねえ?」
「あ、ちょっ、ほたる。……その話は」
無邪気な笑顔を向けるほたるの唇に、はるかは慌てて人差し指を当てた。
「いいわよほたる、続けてちょうだい」
横からみちるの手がスッと伸びてきて、ほたるの口元に当てられたはるかの指を掴んで引き離した。ほたるがいる手前、決して乱暴な動きではなかったものの……いや、むしろ、いつもよりも優雅に感じさせるほどに艶やかな指の動きだったにも関わらず、みちるははるかの手首をしっかりと掴んでいて、なかなか強い力だった。普段は掴む側に回ることが多いはるかがそう思うくらいだから、相当だ。はるかは抵抗を諦めて腕を下げる。
「キラキラしたお店だったよ! 外も、中も! いーっぱいキラキラしてた!」
ほたるは腕を大きく広げて表現する。みちるとせつなが前のめりになって聞くものだから、より一生懸命に話しているようにも見えて可愛らしい。が、もちろんはるかは気が気でない。
「へえ。中にいたのはどんな可愛いお姉さんだったのかしら」
「んー、サンタさんの帽子をかぶってて、みちるママやせつなママみたいに綺麗なおねえさん。あとは男のお客さんがいっぱいいて、みんなおねえさんとお話ししてたよ」
ほたるの言葉に、せつながさっと顔色を変えた。
「ちょっと、はるか……まさかほたるをいかがわしいお店に……?」
「いや、誤解だよ。勘弁してくれって」
はるかは手を振って弁解するが、そうは言いつつも詳しく釈明しようとしない姿が余計に怪しく写ったらしく、みちるが目を細める。
「キラキラしていて、サンタさんの帽子をかぶった綺麗なお姉さんのいる場所に、ほたるを連れて……ねえ」
口調は決して責めるようなものではないが、視線はそう言っていない。探るように流れる視線は色っぽさすらも漂うが、悠長にそれを味わっていられるはずもなく、はるかは視線を泳がせた。
「そんなところで、ほたるは何をしていたんです?」
「あ! あのね、青いおっきなクリスマスツリーが置いてあるの! ほたるはずっとそれを見てたよ」
ほたるがそこまで言ったところで、はるかはついに諦めの表情を浮かべた。反対に、みちるが何かに気がついたように「それってもしかして」と声を上げる。
「参ったな。ほたるがいる時に行くべきじゃなかったか」
はるかは「降参」とも言いたげな顔で両手を上げた。それから「ちょっと待ってて」と自室に向かい、すぐに小さな青い紙袋をふたつ手にして戻ってくる。ほたるはそれを見て何かに気がついたような嬉しそうな顔をした後で、小首をかしげて言った。
「あれえ、はるかパパ。サンタさんするんじゃなかったの?」
ほたるの発言に、はるかは思わず苦笑した。
「そのつもりだったけど。きみがあんまりにも隠し事ができないようだから」
その発言の意図は伝わらなかったようで、ほたるは不思議そうな表情を浮かべて見ていた。はるかはその頭をぽんぽん、と撫でる。
「素直でいい子ってことさ。……さて。じゃあ少し早いけど。これを」
はるかはみちるとせつなにそれぞれ、持っていた紙袋を渡した。シンプルな淡いブルーの紙袋は、小さな文字でブランド名が書かれており、上品なリボンがあしらわれている。
「これ……なんですか?」
みちるはほたるの発言と紙袋で合点がいったようだが、せつなはピンとこない様子で紙袋を掲げている。
「クリスマスプレゼントだよ。ふたりに」
「え……私にも……ですか?」
みちるはともかく、とせつなは動揺した様子ではるかとほたる、それからみちるに視線を泳がせた。みちるはその様子を見てくすくすと笑っている。
「ふたりに、って言ってるんだから、私とあなたしかいないでしょう。ね、開けてみましょうよ」
みちるはもうはるかの意図をある程度理解したようで、戸惑うせつなの背中を押して、自らの紙袋に手を掛ける。みちるに言われ、せつなも紙袋に結ばれたリボンを解き始めた。
袋の中から出てきたのは、小さなジュエリーケース。せつなより先に、みちるが恭しく箱を開けてみせる。そして中身を見て顔を綻ばせた。
「あら、可愛らしいわ」
みちるに続き、せつなも箱を開けた。
「まあ……素敵ですね」
ふたりが開けた箱の中には、それぞれのイニシャルのモチーフがついたネックレスが入っていた。みちるの「M」のモチーフには、彼女の誕生石であるアクアマリン。せつなの「S」のモチーフには、同じく彼女の誕生石、トルマリンが小さく埋め込まれている。
「キラキラしていて青いクリスマスツリーがあって、綺麗なお姉さんと男性客が多い……。ふふっ。十番街のアクセサリーショップに行ったのね」
みちるは紙袋を見て言った。ファッションに詳しいみちるは店の特徴がわかった時点ですぐに気づいたが、せつなはみちるの言葉でようやく理解したようだ。
「……なるほど」
みちるは早速、ネックレスを取り出して身に着けた。ゴールドのモチーフに淡いブルーのアクアマリンは、みちるの白く滑らかな肌の上で輝きを放ち、元々のみちるの肌の白さとアクセサリーの上品さが引き立つようだ。
一方でせつなは、まだどこか腑に落ちない表情でネックレスを眺めている。みちるは深海鏡をかざして自分の首元を映して満足気に頷いたあとで、せつなにも鏡を向けて尋ねた。
「せつなもつけてみたらいかが? そのトルマリン、きっとせつなに似合うわ」
多くのカラーバリエーションを持つというトルマリンだが、せつなに贈られたネックレスに付いていたのは、情熱的な赤紅色を放っていた。角度を変えて見ると、偏光ガラスのようにグリーンがちらついて見え、まるでせつなの瞳の中を覗いたかのような色だ。
「ええ……でも、あの、なんで私にも?」
せつなが戸惑う様子ではるかに問うと、逆にはるかが驚いたような顔をして、さも当然というように言った。
「なんでって。家族にプレゼントを贈るのは当然だろう?」
「そう……なんですか?」
そこまで言われてせつなはようやく納得したようで、小さな箱に納められたネックレスを手に取った。彼女の褐色肌に合わせると、みちるとは違った魅力が現れ、身につけているニットのワンピースにもよく映える。みちるに渡された深海鏡でその姿を確認したせつなは、気恥ずかしそうな表情で頬を染めた。
「よく似合っているわ」
みちるの言葉に、せつながやや落ち着かない様子でネックレスに触れながら「そうでしょうか」と呟く。
「そう言えばこうやってクリスマスにプレゼントをもらったのは初めてかもしれません」
「ほたるにはサンタさんが来るけど、みんなには来ないんでしょ? だからはるかパパとほたるがサンタさんになるんだ、って言ってたんだよねー!」
ほたるが得意げに胸を張って言う。はるかはまたほたるの頭をぽんぽんと撫でた上で、付け加えた。
「まあ、隠し事のできない小さなサンタクロースのおかげで、ちょっと予定が狂ったけど」
はるかの言葉に、また和やかな笑い声が上がる。その中心にいるのはやはりほたる。本人はなぜ自分が笑われたのかよくわかっていないようだったけれど、三人が笑っているというだけで楽しいようで、いつまでもけらけらと笑い続けていた。ふたりの「ママ」の胸元のネックレスが、四人の団らんを象徴するかのよう煌めいて光る。
皆の笑い声が途切れ、みちるとせつなが何か別の会話を始めたので、はるかはほたるの目線の高さまでしゃがみ込み、耳元でこっそりと囁く。
「ほたる、サンタさんの話は内緒にしようって言ったろ?」
きみが内緒にしてくれていれば、我が家にこんなに早くクリスマスがやってくることはなかったんだぜ――無邪気で純粋な瞳が、三日月のように細くなるのを見ながら、はるかは心の中で呟く。
ほたるは堪えきれない笑いを抑えるかのように、口元に手を当ててくすくすと笑った。そして次の瞬間に出た言葉に、はるかは唖然とする。
「えへへ……。だって、はるかパパのお話をみちるママとせつなママにすると、いっぱい笑って聞いてくれて、おもしろいんだもん」
「え? いや、ほたる、それって」
やっぱり、きみはわざと僕を困らせていたのか? 他にも僕のいないところでふたりに何か――?
はるかがその真相を確認する前に、ほたるはみちるとせつなのネックレスを近くで見たいと騒ぎ出し、聞く機会を失ってしまったのだけれど。
その夜、はるかがベッドに入ろうとすると、みちるがドレッサーの前に座り、ジュエリーケースに戻されたネックレスを眺めているのが目に入った。
はるかは後ろに回り、みちるの首に腕を回す。みちるは顔を上げ、鏡越しにはるかに微笑んだ。
「気に入ってくれた?」
「ええ。とても素敵よ」
みちるはケースの蓋を閉め、ドレッサーの上に置いた。首に回されたはるかの腕に自らの指を這わせてから、辿り着いた彼女の手に絡める。
その瞬間、はるかがもう一方の手で絡められたみちるの手を取り、何やら動かしたあと、すぐに元に戻した。
みちるが不思議に思って鏡を見ると、右手の薬指に、先ほどまではなかった輝きがちらつく。驚いて右手を上げて見ると、そこにはネックレスと同じく淡く光るアクアマリンのリングが収まっていた。
「ほたるにバラされちゃったから早まっちゃったけど。『恋人として』のプレゼントは先にするつもりだったんだ」
はるかにとって、みちるもせつなも大切な家族には変わりなく、そこに優越はないけれど。みちるが特別な人であることも事実で、その気持ちを表現したいという想いもある。
「予定が狂っちゃったな」
苦笑するはるかに、みちるが微笑んだ。互いの視線の先に、無邪気な笑顔を思い出しながら。
「まあ……私がそんなこと、気にすると思って?」
みちるは改めて、自らの前に右手をかざした。華奢なリングと小粒のアクアマリンは、存在感がありながらも邪魔にならないデザインだ。ヴァイオリンや絵画など普段から手を使う事が多く、あまりアクセサリーをつけないみちるでもつけやすいように、という配慮もあるのかもしれない。そう思うと、みちるにとってはより一層、その輝きが愛おしく感じる。
「ごめんなさい、私からはまだ準備できていないのだけれど」
申し訳なさそうにするみちるに、はるかは回していた手を彼女の頬に沿わせるようにして自分の方に向け、唇を塞いだ。
――僕がそんなこと、気にすると思うかい?
きっとこれは、クリスマスケーキよりも、シュトーレンよりも、甘い甘いプレゼント。
小さなサンタクロースが届けた早めのクリスマスナイトは、凍てつく夜の空気を温かく変えていった。